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母親を壊す「一人ぼっち」症候群

ルポ・子ども殺しの現場から
河合香織 ノンフィクションライター

お母さんみたいに
不良になりたい

 家族と分離しなければならないと児童相談所が判断した場合、一時保護を経て、児童養護施設などで子どもは生活することになる。しかし、都市部では施設はいつも定員超過で、本来は措置されるはずの子どもまで見守りで終わってしまうことも多いのだという。

「受け皿がないんだから、家に帰すしか方法がありません。児童相談所を責めて解決するような問題ではないのです。社会的養育が必要な子どもがたくさんいて、予備軍もいっぱいいる。ここにいる子どもは氷山の一角なんです」

 埼玉県のある児童養護施設の施設長は言う。

「三三年この業界で働いてきましたが、ネグレクトという虐待が目に見えて増えたのはここ一〇年くらいでしょうか。高度経済成長を経て、食事も教育も何でもお金で解決できるようになった。そして、我慢ができない親が増えました。『孤児院』と呼ばれていた頃は親がいなかったり、貧困家庭で育てたくても育てられない親がほとんどでしたが、今は違います。孤児ではなく、ほとんどの子どもの親が生きていて、なかには素晴らしい家に住んで、社会的に立派な親もいる。そんな家庭でも虐待がなされているのです」

 子どもたちはどう感じているのだろうか。一〇人の子どもに対して三人のスタッフがつき、寝食を共にする。そのなかでも積極的に料理などの手伝いをする快活な小学生の少女がいた。彼女は虐待され、母は刑事事件で実刑を受けた。それでもなお、「お母さんみたいに不良になりたい」と笑う。母が好きで仕方がないのだ。

 子どもたちが通っている学校の教師から施設のスタッフが言われたことがある。

「まだ施設の子たちの方がましですよ」

 親と一緒に暮らしているが、食事もろくに与えられず、夜遅くまで一人外で遊ぶ小学生もいるのだ。

 施設のベテランスタッフは、虐待は誰にでも起こりうる問題だと感じている。

「交通事故と同じで不運が重なっただけだと思うのです。たまたま子どもの夜泣きがひどく、離婚してしまい、親も援助してくれずに、近所づきあいもなく、孤立してしまい、ある日ガツンとそれが爆発してしまった。交通事故だって、まさか自分が起こすとは思わない。それと同じなのです。私自身だって施設内で虐待してしまう可能性もある。けれども、施設ではそれを防ぐシステムができているから何とかなっているだけかもしれない。虐待する親が、特別な人だとは思いません」
 子どもは一生施設にいるわけにはいかない。児童養護施設スタッフは児童相談所の問題を指摘する。

「子どもを家庭に帰すタイミングは児童相談所が決定します。けれども、私たちは毎日子どもと一緒に暮らしています。うちの施設は保護者が来るのも自由ですから、一緒に食事をしたり、泊まっていったりもします。そういう関係を築くうちに、もう家に帰してもいいかもしれないという時期に到達するのです。そこに子どもの学校入学なども重なって良いタイミングなのに、児童相談所の担当者が渋ることがある。早く戻しすぎて自分の責任問題になってしまわないか、そちらばかり心配する人もいるのです。だけど、ぐずぐずしていたら子どもは大人になってしまいます。だから、施設の判断で家に帰してしまい、事後報告することもあります」

 もちろん、子どもが家庭で安心して暮らしているかのアフターフォローは続けている。

 児童相談所に責任を押しつけすぎたために、萎縮してしまうことがある。それが本当に子どものためになっているとは思えない。

 施設は基本的に十八歳までしか入所できない。それからは、家庭と切り離された子は一人で生きていかなければならないのだ。

合言葉は、「私たちは無力だ」

 東京都にある子どものためのシェルターなどを運営する「カリヨン子どもセンター」は、そんな十五歳から十九歳くらいまでの思春期後期の子どもたちの砦となっている。

 理事長であり、弁護士である坪井節子氏は言う。

「児童養護施設を出た子どもたち、あるいは施設に入れなかった子どもたちなどがうちに来ます。施設は命を落とす危険の高い小さい子どもが優先され、大きい子どもはなかなか入ることが難しくなるからです。とはいえ、家では長期にわたって虐待されていて帰りたくない。うちは、行く場所もなくて、野宿したり、あるいは携帯電話で泊まる先を探したりする十代の少年少女たちの避難場所なんです」

 自ら弁護士会の「子どもの人権一一〇番」に電話してくる子、学校の先生や友達からの通告、そして児童相談所とも連携している。

 思春期後期以外にも、実は児童福祉の網からこぼれている子どもたちはたくさんいると坪井氏は指摘する。

 病気の子ども。入院するほどではない、しかしパニック障害などを持った子どもたちは施設には入所できないし、グループホームも大人向けのものしかない。

 さらに、高校を中退した子ども。学校に通っていないと通常は施設には入れない。自立支援ホームは就労者のみで、就労意欲のない子どもは行く場所がない。そしてもう一度学校に通いたいと思っても、里親などが見つからない限り、一人暮らしをせざるを得ない。親という後ろ盾を失っての自立は相当に難しい。

 あるいは、少年院を退院した子ども。児童自立支援施設、かつての教護院は原則中学生までで、児童養護施設も受け入れてはくれない。

 坪井氏は、非行は家族がやり直すきっかけになるのだと言う。

「非行はすべての虐待が絡んでいるといっていい。虐待防止法の虐待だけではなく、過保護や過干渉もそうです。非行というSOSでほとんどの家庭は自分の過ちに気づくのです。だから犯罪者にならずにすむ。少年犯罪の厳罰化などが言われますが、その前にどうして子どもが非行に走ったか考えてほしい。再犯罪におちいらなければ、刑務所の経費もかからないし、働いて税金を納めてくれるかもしれない。病気にならなければ医療費もかからない。この時点で支援する方がかえって経済効率がいいのです」

 問題は非行にさえ走ることができない居場所のない子どもたちだ。

「虐待された子どもたちはよく言います。自分なんて生まれてこなければよかった。死んだ方がみんなのためだと。一人ぼっちで生きてきて寂しいんですね。それでも親を慕うことをやめることができない。親は子を捨てられるけれど、子どもは親を捨てられないんです。そして虐待する親もまた一人ぼっちで寂しいんでしょう」

 虐待した親と交渉した時に、坪井氏はこんな言葉を投げかけられたことがあるのだという。

「あの子は弁護士さんに話を聞いてもらっていいですね。じゃあ、私の話は誰が聞いてくれるんですか?」

 前述の子育てに悩む母は、「完璧でありたい」と話していた。そして「もっと明るく子育てができる社会だったらよかったのに」とも。話を聞いてくれる人がいなくて自分を追い詰めてしまっている。

 坪井氏は言う。

「完璧な人間なんてどこにいるんですか。そんな人はどこにもいない。私だっていつも自分の力のなさを実感しています」

 カリヨンの合言葉は「私たちは無力だ」という。壮絶な子どもの人生にとって、自分たちができることはささやかだ。無力であることを認め、その弱さを絆にしていく。そして、無力ながらも誰かの役に立とうともがくことができる。そして寂しさに苦しむ人を「一人ぼっちにしない」ことだけはできる。

「みんなに善意を振りまかなくてもいい。せめて目の前の人を一人にしないで。自分では何もできなくても、電話して誰かにつないであげるだけでもいいんです。抱え込まなくていい」

 児童相談所への通告の前に我々にできることがあると坪井氏は言う。隣の子どもに「大きくなりましたね」と声をかける。電車で怒鳴っている母子に話しかける。荷物を持ってあげる。

 児相が悪い。国が、社会が、コミュニティが、祖父母が、マスコミが悪い。そうやって犯人捜しばかりをして他人に責任転嫁する。裏を返せば、子育てをうまくできない親が自分を責めてばかりで何もしないことにも通じるだろう。しかし、その犯人捜しはもう随分長い間続けられたが、一向に現状は良くならないばかりか、悪化の一途を辿っている。

 カリヨンで保護したある少女は、現在は四児の母になった。彼女は町でシンナーを吸っている少女たちを見かけるとこう声をかけているという。

「お腹減ってるだろう。うち来てご飯食べな」

 彼女自身少女の頃は行くところがなくて、小学校五年生からシンナーを吸っていた。その時にかけてほしかった言葉を見知らぬ子たちにかけているだけなんだと。

(了)

〔『中央公論』2010年11月号より〕

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