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サラリーマン定年後の悲劇は「男」という性の宿命である

渡辺淳一 インタビュー
渡辺淳一

忙しくて病気になるのではない、むなしくて病気になるのです

─そしてその寂しさは誰からも共感されないものですね。

渡辺 そうです。六十歳で定年退職した男の本当の悲しみや、つらさというものは誰も分かってくれません。共感しあうような友人ができないことは、これまで説明してきましたが、だからと言って家族に期待しても、妻はお金を稼いでこなくなった夫に対して冷淡な態度を取ることはあっても、あたたかく理解してくれることはまずないでしょう。子どもにしたところで、年頃の息子も娘も自分の生活に忙しくて、父親の心情などに関心を持つことはまずありません。
 とにかく朝起きて夜寝るまで何もやることがない。友達もいない。電話をかける相手もいない。これでは生きていることがむなしくて仕方がなくなる。それはある意味、死ぬほどつらいことですよ。実際そのつらさが病気の誘因になっています。男は忙しくて病気になるのではありません。むなしくて病気になるのです。

─高齢者のウツ病が増えていると聞きます。

渡辺 そうですね。そのウツ病は精神の病としてつらいだけでなく、ガンなど大きな病気の原因にもなるのです。
 昔は、寿命が短くて、六十歳で退職したあと、それほど長生きしなかったから、むなしさを感じていたとしても、それほどの苦痛にはならなかった。しかし今は平均で八十歳まで生きるわけです。こうした孤独のなかで、定年後二〇年間、過ごさなければならない。

─うーん、厳しいですね。ただ、この『孤舟』という小説自体は、基本的にハッピーな方向に色付けされていたように思うのですが、それはあまりにも過酷な現実があるからということですか。

渡辺 いやいや、本作の主人公がこれからどうなるかは分かりません。小説としては、ある程度希望を持たせる形で終わっていますが、そのとおりゆくかどうか。この先どうなるかは分かりません。結局、妻と離婚してしまうかもしれませんし、習おうと決意したフランス料理もすぐに挫折してしまうかもしれない。

─なるほど。そうしたら依然として悲惨な状況は変わらないままということになりますね。

渡辺 結論はありません。分かっているのは、老後の生活が崩壊する危険性は常にあるということだけで。

自分から「変わる」しかない

─何か処方箋のようなものはないのでしょうか?

渡辺 実はこの本を出版して、まず読んで「非常に面白い」と言ってくれたのは奥様たちなのです。

─男性が主人公であり、男性の内面を中心に描いた小説なのに、女性から読まれはじめたのですか!?

渡辺 ええ。これは奥様たちから火がついて、男性も読み始めてくれた。妻からすると、うっとうしい夫の描写が真に迫っていると言ってくれて、それがまず彼女たちの興味を引くことができた原因かもしれません。「ああ、うちの夫と同じだ」と。夫婦問題についてはリアルに描きたかったのでかなりたくさんの取材をしました。
 こうして奥様たちのあと、少しずつ男も手に取ってくれるようになったみたいで。男にとっては、自分の悲劇というか自分の隠しておきたい部分が書いてあるわけだから、面白がっては読むことはできないけれども、厳しい現実のなかでの「自分の生きざま」を考えるきっかけとして読んでくれているようです。
 身も蓋もないことを言うようですが、人に対して前もって警告をしても、それは無意味です。いくら年長者が「気をつけなさい」と注意したとしても、その年齢にならないとその真意は絶対に分からない。ですから前もって事前に問題を回避することは難しい。
 ただ、『孤舟』のような本を読んだことがあれば、いずれ実際にこうした問題と直面したときに、「そういえば、今の自分と似たような主人公がいたな」と思い出して、より柔軟な対処ができるかもしれない。プライドを捨てても何か仕事を見つけようとか、頑張って趣味の友達をつくるとか、妻に支配されないためにお金は自分で管理するとか。
 今、団塊の世代が次々と定年退職を迎えて、厖大な数の「孤舟族」が増えている最中です。この作品を書くにあたって図書館へ取材に行ったのですが、何もすることがないのか、図書館で時間を潰している高齢男性が実に多かった。本のなかでも、主人公が幼稚園児から「おじさん、友達いる?」と尋ねられる場面がありますが、そんな「孤舟族」を一人でも減らすためには、高齢男性自身が、自分から「変わる」しかない。
 それは非常に難しいことだと思いますが、サラリーマン社会というシステムが変わらない以上、何とか前向きに挑戦してほしいと思います。


(了)

〔『中央公論』201012月号より〕

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