政治・経済
国際
社会
科学
歴史
文化
ライフ
連載
中公新書
新書ラクレ
新書大賞

混乱する日本の「公」と「私」を問う

橋本五郎(読売新聞特別編集委員)×松原隆一郎(東京大学大学院教授)

引き裂かれたコミュニティー

橋本 東日本大震災は我々に何を突きつけたのか。阪神・淡路大震災と今回の震災との決定的な違いは、阪神が都市型で経済的にも豊かで回復可能だったのに対し、今回はそれでなくても衰退の一途をたどっている地域が災害を被ったということです。と同時に震災の後、被災地は津波にのまれコミュニティーが崩壊した。福島は原発問題で引き裂かれていく。これは阪神のときにはなかった現象です。
 コミュニティーをどのように再生していくかが大きな問題になってくる。その際、「公」と「私」の関係が改めて問題になります。どうやって新しい公共的なものをつくっていくのか。これが問われる時代にあると思います。

松原 そう思います。私は神戸出身で阪神大震災では実家も被災し、末妹が下敷きになり亡くなりました。ところが今回は津波にのまれていますから家ごと流されてしまっている。仙台の知人は奥様が津波にのまれて行方不明になり、一ヵ月後に一キロ先の田んぼの中で遺体で発見されました。故人を思い出す家財の一切がなくなってしまったそうです。今後、個人生活とコミュニティーの再生を公はどう担っていくのかが問題になるのだと思います。
 ところで私は大震災以前から、日本にも「市民として自分も相応の負担を担う」といった機運が醸成されているのを感じていました。タイガーマスク運動の連鎖があり、消費税の値上げもこれほどの累積赤字に対してならある程度は仕方がない――という空気も生まれつつあった。沖縄の米軍普天間飛行場移設問題にしても、民主党政権がもてあそぶ前まではあそこまで強硬に反対してはいませんでした。
 せっかく市民が成熟してきた時代にあって、政治はそうした空気をすくい上げ現実のものとするべきだったのに、沖縄など逆に政治が混乱を生み出してしまいました。

橋本 これから個別の問題を論じていきたいと思いますが、その前に確認しておきたいことが三つあります。
 第一に、「迷惑施設」という言い方は間違っていると思います。単なる迷惑な施設ならつくる必要はない。必要だけれども、自分の家の近くにはつくってくれるなというのが正しいでしょう。
 第二に政治思想史家の藤田省三が説く「当事者優位の原理」です。要するに、当事者が優先されるべきであって全然関係ない外野の人間が安全地帯にいながら論じるのはおかしい――ということです。
 第三に真に必要であるかどうか徹底的に吟味する必要があるということです。少なくともこれまでは米軍基地も原発も存在する必要があった。今後も必要なのかどうか。真摯に考える必要があるということです。こうして順序立てて考えていくことが大事なのであって、一気に賛成か反対かと分かれるのはおかしな話なんです。

原発は苦渋の選択だった

橋本 原発についていえば、地域住民には様々なことに耐えてもらっているわけです。東京の人々が福島原発の電力で生活してきたのは紛れもない事実。こうしたことを一つ一つ整理していかないと感情的な論調に一気に押し流されてしまいます。

松原 財界は「続けてもらわなければ困る」といい、脱原発派は「即日、脱原発だ」という。けれどそもそも日本は明治以降、自前のエネルギー源を持たないからこそエネルギーを求めて戦争を起こしてきたという経緯がある。エネルギー争奪戦となった第二次大戦に敗れた後、復興のためにも自前のエネルギーがどうしても必要だったわけで、原発は戦争回避のためにも復興のためにも「苦渋の選択」でした。
 ところが昨今は安全神話に塗り固められ、あたかも「理想の選択」であったかのように糊塗されている。それで、本来、想定しておくべきだった危険性まで無視するような構造ができあがってしまった。

橋本 一九五七年に原子の火が灯ったときには歓声が上がったといいます。資源のない国としてどうやって生き延びるのかという中で原発は人々の希望の灯火だったのです。

松原 今回の事故では福島の人々ばかりが負担を負うことになってしまいましたが、本来はグレーゾーンの部分を直視し、当事者優位で考えるプロセスが必要だったと思います。
 そうした経緯を一気に飛び越えて黒か白かをつける話になりがちです。民主党の事業仕分けについても言及すれば、本来は「何が必要か」を基準に裁いていくべきではないでしょうか。「公共財としてこれは必要だ」と。それを一時的な流行で「無駄だ、いらない」と排除することに危険を感じます。
 流行で白黒つけるのではなく、長い目で要不要を判断しなければならない。原発はこれだけの事故を起こしたのだから時期をみて廃止すべきですが、すぐに廃止するのは現実的ではない。
 それから原発の代替エネルギーとして様々な研究がありますが、コストの観点から完全に原発に代わりうるエネルギーはみつかっていません。一方でこうしたものにも根気強く投資していかなければなりません。

橋本 そう思います。そうした積み上げるべきことを度外視して、「イノベーション」などというだけでは代替エネルギーはみつからない。第一、エネルギー供給が不安定になれば企業は海外に逃げてしまいます。
 また、今回事故が起きた一因に研究者、技術者の緩みもあるとみています。唯一の被爆国でありながら原発を導入したのですから、初代の研究者、技術者は、原発の扱いについて非常に慎重だった。二代目もそうでしょう。しかしいま三代目ともなってくると完全に緩んでしまっている気がしてなりません。

松原 技術者は自分にしかわからないというエリート意識が強すぎたと感じるんですが、今回の事故で「本当に大丈夫か?」という国民の素朴な疑問のほうが正しかったわけですから、そこは素直に反省してもらわねばならない。自分たちだけで勝手なことができないシステムをつくるべきだと思います。

安全保障は国の根幹

橋本 沖縄の米軍基地についていえば、与党民主党は日米同盟も米軍基地も必要だといっている。そして、最も有効な基地の設置場所を考えると、それは残念ながら沖縄ということになるのです。とはいえ、在日米軍基地の七五%が沖縄県に集中しているという現実もあり、さて、どうするかということになる。いわゆる「本土」よりはるかに大きな負担を負っているんですから、日本全国で沖縄を支援しなくてはならない。これは当たり前のことで、そうやって順々に議論を詰めて、それでも基地は受け入れられないという話になるのかどうか。一から積み上げていくしかないのだと思います。

松原 異論ありません。なぜ沖縄で米軍基地がここまで迷惑施設として認識されるようになったかといえば、きっかけはやはり米兵による少女暴行事件でしょう。日本政府があの事件の加害者を国内の裁判にかけられなかったことは決定的な失敗です。加害者を日本の主権下で裁けなければ沖縄を説得することなどできません。沖縄県民をあれだけ憤激させた事件なのですから、日米地位協定については即刻見直す必要があります。ただし中国がここ数年、沖縄を琉球と呼ぶようになっている。米軍の支配が弱まれば中国軍の影響力が増すぞというサインでしょう。それは見過ごしてはならないと思います。

1  2  3