昔のお寺はよろず相談所だった
子供の頃、学校から帰ってくるといつも誰かが居間にいた。近隣の人たちが住職夫婦(私の両親である)に雑談や相談をしているのである。その様子を居間の隅でじっと聞いていた。あっちに行っていなさいと言われても、好奇心がおさえきれない。マンガを読むふりをしながら、聞き耳を立てたりしていたのである。複雑な人間模様に、大人って大変だなと感じたこともある。大泣きしている姿を見たのも一度や二度ではない。大人も泣くのかと思った。
時には宗教的な問いもあった。死んだらどうなるのか、念仏すれば幸せになれるのか、といった類の相談である。こういった問いに対して、住職夫婦は「とにかく仏様におまかせしていたらいいのだ」などと恐ろしくシンプルなことばかり言い放っていたように思う。あんなことで、相談者は納得していたのだろうか。
とにかくひと昔前の(田舎の)お寺はよろず相談所状態であった。人間関係の悩みからお見合いの相手探し、夫婦ゲンカの仲裁から就職の相談まで、地域コミュニティー維持の中心的役割を担っていたのである。
そんな田舎のお寺で生まれ育った私は、子供の頃からかなりの数の相談者を目の当たりにしてきた。そのため経験的に「相談上手な人」と「相談ベタな人」がいることに気づいていた。基本的に女性の方が相談上手である。それも中年女性だ。一方、中年の男性が一番ヘタである。男性でも若者はまだマシなのだ。
〔『中央公論』2014年4月号【特集 日本の男は何に悩んできたか】より〕
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