『鬼滅の刃』のヒットが続いている。筆者は「そこまで流行しているならば」と軽い気持ちで配信アニメを視聴し始めたところ、見事にハマってしまった。アニメ全話を完走したのち、原作の漫画も読破し、映画も観に行った。そして今、筆者の爪には、『鬼滅の刃』の「痛ネイル」(漫画やアニメに関係するモチーフを爪に描くネイルアート)が施されている。
『鬼滅の刃』の話題は聞き飽きたという方も多いかと思うが、本稿では理系女性の活躍という観点から検討してみたい。この作品では、科学/医学を駆使して戦う女性キャラクターが二人登場する。ひとりは、人食い鬼を狩る組織「鬼殺隊」の最高位の「柱」の一員、胡蝶しのぶだ。彼女は、小柄で非力なため、鬼の首を斬ることができない。しかし、薬学に精通しており、鬼ごとに調合した毒を作り、この毒によって鬼狩りをする。しのぶの薬学の知識は、負傷した鬼殺隊の隊士の治療にも発揮されており、隊士のリハビリを行う施設も運営している。
もうひとりは、鬼の身でありながら、鬼狩りに協力している珠世だ。彼女は医者であり、人喰いをしなくても生きることができるように、自らの体を改造している。そして、鬼を人間に戻すための方法を探究しており、その研究のために、主人公の竈門炭治郎に鬼の血液を採取するよう協力を求めるのだ。鬼の立場で行われる珠世の研究は、「当事者研究」に相当するだろうし、炭治郎の関わり方は、「シチズンサイエンス」とみなすこともできる。両者とも、いま注目されている科学研究の形だ。この二人の科学/医学研究は、鬼殺隊と鬼という立場の違いから、別々のルートで行われているが、終盤では共同研究へと進む。そして、彼女たちの成果は物語において決定的な役割を果たすのである。
翻って現実に目を向けてみよう。科学分野では女性が少ないことが長年の課題となっているし、医学分野においても、二〇一八年に女性や浪人生を不利に扱う医学部不正入試問題が明るみに出たことは記憶に新しい。科学や医学の分野では、女性の活躍の場が保証されているとは言いがたい。『鬼滅の刃』の世界観では、基本的に武力によって鬼を倒すことが求められる。体力や腕力は、男性よりも女性のほうが劣る傾向があるため、女性キャラクターが科学/医学を担当したと解釈することもできる。とはいえ、その多様性が確保された環境の中で、男性も女性も協力し合う場が与えられているさまは、現代社会に生きる私たちも学ぶべきことが多いだろう。
女性が理系分野に向かないという偏見は根強いが、様々な研究によりその思い込みは誤りであることが明らかになっている。例えば、数学・科学分野における、脳のジェンダー差が統計的に示されるのは、心的回転(三次元の物体がいくつかの方向から示され、それが同一の形状であるか判断する)の能力くらいしかない、という研究もある(セシ、ウィリアムス『なぜ理系に進む女性は少ないのか』より)。それでも、理系に女性の割合が少ないのは、「男女の生まれつきの脳の差だ」とする言説は世の中にあふれている。
小学生を対象にした、ベネッセコーポレーションのアンケート「憧れの人物ランキング」で、『鬼滅の刃』のキャラクターが一〇位中七人を占めた。ここで三位となったのが、本稿で紹介した胡蝶しのぶである。このアンケートは、女子五一七〇人、男子二四九一人というように、女子の回答者数が多い。『鬼滅の刃』で活躍する理系女性に憧れた少女たちが、根強い偏見を打破し、明るい未来を築いてくれることを願う。
〔『中央公論』2021年2月号より〕
東京大学教養学部特任講師。博士(学際情報学)。専門は科学コミュニケーション、科学技術社会論。著書に『科学との正しい付き合い方』『面白すぎる天才科学者たち』など。