「フホー」のいる日常
室橋 安田さんの『北関東「移民」アンダーグラウンド』では、鉾田(ほこた)市(茨城県)の同じキュウリ農家で働いていたボドイ同士の諍いから起こった殺人事件を取材していますね。僕の『エスニック国道354号線』でも、ベトナム人の間で「失踪したら鉾田に行け」が合言葉になっていることを紹介しています。高崎市(群馬県)から鉾田に至る国道354号線を軸にすれば、北関東一帯の移民社会化が描けるのではないかというのがこの本の構想だったのですが、現実の鉾田で起こっているベトナム化は、想像以上でした。
安田 至るところに掲げられた「日本で一番やさいをつくる街」というスローガンの通り、全国トップの農業産出額を誇る鉾田では稼いでいる農家が多く、かつては中国人技能実習生も数多く働いていた地域ですが、その待遇では良くない評判も耳にしてきました。中国の経済成長を受けて、現在の実習生の多くはベトナム人へと変わりました。彼らにとっての鉾田は最初に働きに来る場所であると同時に、職場から脱走して失踪を繰り返したあとに、最後に流れ着く土地でもあるんですよね。
室橋 一見するとのどかな農村ですけど、「フホー」と呼ばれる不法就労者と正規の実習生が、ごく普通に同じ職場で働いているんです。畑がきれいだったので農作業をしていたおっちゃんに撮影許可を求めたら、「奥のほうで働いてんのフホーだから。カメラ構えたら逃げっかもな。ワハハハ」と言われて、地元の人たちの感覚に驚いたこともありました。
安田 拒否も拒絶もしない代わりに、あまり人間扱いもしていない。事件のあった農家は何年も前から2人のボドイを雇って、彼らが帰国する際には別のボドイを紹介してもらうというやり方で不法就労が常態化していたのですが、どうやら前任者の時代からボドイ同士の関係が悪かったみたいなんですね。ハウスでの作業中に何らかの諍いが起こり、いきなり芽切り用の鋏で相手の喉を刺して殺してしまった。ですが、隣接する農家のおばあちゃんに話を聞いても、「お隣はかわいそうなのよ。いきなり働き手が2人も減ったんだから」と、外国人の人命よりも人手不足に同情していました。それが彼女のヒューマニズムなんですよね。
室橋 中国人実習生がいなくなった原因の一つは、残業代を払わない雇用主が彼らに提訴されたことだったみたいですね。そうなると雇う側としては、あまり教育を受けていない、ベトナム人実習生は好都合なんです。地元の人たちはそのことに疑問を感じておらず、話を聞くと何でも答えてくれるので、取材はすごくしやすかったんですけど。
安田 「これを喋ると問題になるかも」という意識もない。
室橋 カジュアルなんですよね。こっちの感覚が狂いそうになる瞬間が、何度もありました。