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岩村暢子 アンケート調査では真実は見抜けない。私が「嘘をつかせない」調査法に徹底してこだわるわけ(後編)

岩村暢子
長年にわたって家庭の食卓の定点観測を行い、その分析を通して日本の家族と社会に生じつつある変容を描き続けてきた岩村暢子さん。最新刊『ぼっちな食卓』では、食卓調査を行った家庭の10年後、20年後を追跡し、食事や育児の方針、家族間の人間関係が、その後の各家庭のあり方にどのような影響を与えたか、詳細な検証を行った。食卓調査とはどのようなものなのか、その難しさや意義について、話を伺った

――前編でのお話で、通りいっぺんの調査では引き出せない対象者の本当の姿を知るために、周到な準備をしていることがよくわかりました。

 

その時々の調査目的にそって手法を選んだり開発したりすることは大事ですが、毎年同じ調査を繰り返し継続していくときにも注意しなければならないことがあります。

例えば、最近はお弁当のおかずが「冷凍食品だらけ」で、その中に一品だけウインナーやプチトマトというのが珍しくない。そうすると「あ、またこの家もだ」と思う。その理由を尋ねたら、きっと「一品くらいは手作りものを入れないと罪悪感がある」とこの人も言うんだろうなと思ってしまう。

同じ調査を長く続けていると質問者も聞く前に答えがわかってしまい、一回ずつ謙虚に耳を傾ける姿勢を失っていくのです。でも「わかっている」つもりの人の耳に、新しい言葉は入ってきません。

そうするとある日、「本当はすべて冷凍食品にしたいけど、お金がかかるから仕方なく手作りも一品入れます」という人が現れても、耳が聞き逃してしまう。冷凍食品への「罪悪感」はいつの間にか低下し、逆にお金さえあったら冷凍食品が良いと思う人が増えていてもスルーしてしまうんです。毎回「初めて」のように新鮮な心で尋ね続けるのは、やさしいようで大変難しい。かすかな変化や兆しを捉えられるか否かは、「知ってるつもり」にならない謙虚さ次第。それは、私自身を戒める言葉です。

 

――インタビューをしているときに、事前のアンケートとの違いを指摘されて、追い詰められた気持ちになってしまう主婦もいるのではないですか。

 

そうですね。泣き出した人も複数いましたが、でも、質問に追い詰められてではないと思っています。問われて語っているうちに、自分の家族に対する本当の感情に気づいたり、自分が普段何をしてしまっているのかに気づいて泣いた、という印象です。

これも乾先生の教えですが、「対象者と同じ床の上に立てない調査はするな」と。自分は丘の上に上がって「彼らはこうだろう」「あの人たちはこうだ」と、(自分とは違う)「彼ら」の問題を指摘し、大上段に振りかぶってものを言ったり論じたりするような調査・研究は一生するな、と。

例えば「私なら決してそんなことはしないだろう」と思うようなことも、その行為や現象を深く掘り下げていくと、私の中にも同じ地下茎が繋がっていることに気づかされるものです。そこで、その問題は「あの人たち」のことではなく「私たち」のものになります。だから日記や写真を見て最初は違和感を感じた事象も「他人ごと」として「あちら側」に置かず、精一杯の想像力と洞察で自分の身を添わせ、私自身も考えながら問うようにします。それは、同じ社会の同時代を生きる私自身、そして私たちへの問いでもあります。

もう一つ、乾先生から頂いた忘れられない教えにこんなこともあります。「図をよく見たかったら、地を広くとって見なさい」と。日本をよく知りたかったら日本地図だけでなく、世界地図を広げなさい。そして地球儀を出して見なさい、とよく言っていました。

例を挙げれば、食品会社がカレーを調査しようとすると、カレーが出ている食卓ばかり調べようとする。これではカレーの何たるかが見えてこない。カレーが出ていない食卓まで丁寧に見ると、カレーが今の家庭において何であるのか、その価値も見えてきます。

食卓の写真だけでなく買い物レシートもすべて提出してもらう

同様に時間軸も大きくとれ、「今」だけを見ていてはものごとを見誤る、歴史的視点を欠くな、と毎回言われましたね。

私が5冊目に書いた『日本人には二種類いる』(新潮新書)は、実は1冊目の本が出る前に大方できていました。データはパソコンの中に整理されていたんです。対象者の育ってきた時代背景やその親世代についても「歴史的」に捉えておかなければ、調査さえ十分にできないと考えていたからです。

また時間軸も長くとらないと、変化を語れないので、1回の調査でものを言うことも控えてきました。『変わる家族 変わる食卓』も『家族の勝手でしょ!』も5年分のデータ蓄積を経てベクトルを捉えてからまとめた本ですし、『「親の顔がみてみたい!」調査』は『変わる家族 変わる食卓』の対象者の実の親を訪ねて調べた調査です。『普通の家族がいちばん怖い』は5年を置いて2度の調査をしたものですし、今回の『ぼっちな食卓』では同一家庭を10年・20年と追跡しているのも、そんな「時間軸」「歴史的視点」への拘りがあるからだろうと思っています。

 

――最初の本を出されたあと、さまざまな批判を受けたとお聞きしました。一つはサンプル数が少ない、という批判ですね。

 

これはもう、調査に関する知識や理解の有無を表している、ということに尽きます。

この種の超定性調査だとアカデミズムの世界でも5サンプルあればものが言える、と昔から教えられてきましたが、アンケートなど定量調査しか知らない人には「たった20サンプルで何が言えるか?!」と言われてしまう。一方、調査の専門家からは「あの超定性調査を20サンプルもやったなんて、天文学的な数量だ。どうやって解析するのだ?!」と言われてしまう。そのくらい、専門家とそうでない人とでは、この調査のサンプル数に対する見解が異なります。

――主婦叩きの本だ、という批判もありました。

 

最初の本を出したのは20年くらい前ですが、今でも「主婦を批判するのか」と言われますね(笑)。

たとえば、「最近の食卓には私流、アレンジ料理が増えてきている」と書くと、事実としてそうだと言って取り上げているのに、「それの何が悪い?」「主婦を批判している」と言われてしまう。そういう人たちこそ、もしかしたら一種のうしろめたさを感じているのかもしれません。私は、なんでも「昔は正しかった」と考える人間ではありません。「正しい」「正しくない」より「変化」とその「背景」が実に興味深いと考え、それを著してきた人間です。「善・悪」というものは普遍でも「正しい・正しくない」は時代で変わるものですから。

反対に、もっと「食の乱れや崩れ」をはっきり指摘し、警鐘を鳴らしてほしいと言う人もたくさんいます。でも、私はするつもりがない。メディアはそういう形で私のデータを取り上げるけれど、そんなことを語るためなら、こんなに手のかかる調査は必要ありません。

私の興味があるのは、今起きていることの是非ではなく、その背景。日本人や日本の家族の変容を見つめ、どんな要因でどんな変化を見せ、「『私たち』はどこに向かおうとしているのか」をしっかり見きわめ、これからも考えて行きたいのです。

ぼっちな食卓――限界家族と「個」の風景

岩村暢子

親も子も自分の好きな食べ物だけを用意する。朝昼晩の三食でなく、好きな時間に食べる。食卓に集まらず、好きな場所で食事をとる。「個人の自由」を最も大切な価値として突き詰めたとき、家族はどうなっていくのか――。少子化、児童虐待、ひきこもりなどの問題にも深くかかわる「個」が極大化した社会の現実を、20年に及ぶ綿密な食卓調査が映し出す。

岩村暢子
1953年(昭和28)年北海道生まれ。調査会社、総研、大手広告会社を経て、現在は大正大学客員教授、女子栄養大学客員教授等をつとめる。食と現代家族の調査・研究を続け、著書に『変わる家族 変わる食卓』『「親の顔が見てみたい!」調査』『普通の家族がいちばん怖い』『日本人には二種類いる』『残念和食にもワケがある』など。『家族の勝手でしょ!』で第2回辻静雄食文化賞受賞
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