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岩村暢子 消えた「おふくろの味」――昭和の「おばあちゃん」は、なぜ家庭料理を伝承しなかったのか?

岩村暢子

 

――これまで本を出されたときに、執筆の意図をくみ取ってくれない反応がよく来るとおっしゃっていましたが、今回はどのような反響が多かったですか。

 

基本的には、書いたものはどう読まれようと読み手の方々に委ねられるものですが、一番残念なのは「こんな酷い食事」「こんなものを食べてる人」をあげつらい批判している本だと誤読されるときです。食事の良し悪しを語る本ではなく、食卓を通して日本人や家族を語っている本なので、そこじゃない!って思ってしまいます。あと、「特殊な事例ばかりをセンセーショナルに取り上げて人目を引こうとしている」なんていう批判もありますが、そんな目的のためなら、これだけ手のかかる三段構えの調査を20年以上も継続する必要は全くありません。

また、「『食DRIVE』の結果が従来の他のアンケート結果と異なる」ことに注目して「対象者に偏りがあるからに違いない」という人もいます。でも、アンケート結果だけを比べたら、この調査のアンケート部分の結果と他のアンケート結果は特に乖離していないのです。乖離しているのは、私の調査でも「アンケートに答えたこと」と「日常実際に行っていること」なんです。しかし、社会も家族も市場も「アンケートに答えたこと」ではなく「実際に行われたこと」で動いているわけで、私はその実行動、実態と背景理由に迫りたい。そう思うからこの念入りな手法をとっています。

 

――食事、食卓というのは誰にとっても身近なものなので、強い反応が起こるようですね。

 

(病時でなければ)食事をしないで生きている人はいないから、誰にとっても食は「他人事」にならないからでしょうね。だからこそ、自分も含めて、この同じ時代社会を生きるものに通底する問題を、食卓の現実から突き付けられることがあって、目を背けたくなることもあるのではないかと思います。例えば「個」の尊重とは、日常の食卓における家族関係で言えば、どんな時に何をすることなのか。そんなことも問い直されて、他人事ではなくザワザワしてしまう。

うれしかったのは、『毎日新聞』に掲載された養老孟司先生の『ぼっちな食卓』の書評です。先生も今の親は「欲求」を尊重していると見ておられて、そして、このような形で「素直に独立の個を立てようとする。そんなことが可能かどうか、現代日本はそれを実験中だ」と書いておられました。同一家庭を10年、20年と追跡調査した『ぼっちな食卓』は、その「実験中」の現代日本についての中間報告ではないかと私は思っています。最終報告は、次の時代の研究者に、また新たな視点からしていただきたいと思っています。

ぼっちな食卓――限界家族と「個」の風景

岩村暢子

親も子も自分の好きな食べ物だけを用意する。朝昼晩の三食でなく、好きな時間に食べる。食卓に集まらず、好きな場所で食事をとる。「個人の自由」を最も大切な価値として突き詰めたとき、家族はどうなっていくのか――。少子化、児童虐待、ひきこもりなどの問題にも深くかかわる「個」が極大化した社会の現実を、20年に及ぶ綿密な食卓調査が映し出す。

岩村暢子
1953年(昭和28)年北海道生まれ。調査会社、総研、大手広告会社を経て、現在は大正大学客員教授、女子栄養大学客員教授等をつとめる。食と現代家族の調査・研究を続け、著書に『変わる家族 変わる食卓』『「親の顔が見てみたい!」調査』『普通の家族がいちばん怖い』『日本人には二種類いる』『残念和食にもワケがある』など。『家族の勝手でしょ!』で第2回辻静雄食文化賞受賞
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