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「怒り」を商業利用するSNSが「分断」を促進するメカニズム

津田正太郎(慶應義塾大学教授)

被害者意識と陰謀論

 ここで問題なのは、私を含む「こちら」側が「あちら」側のポストにそう感じるだけでなく、おそらくは「あちら」側も「こちら」側に同じように感じているということだ。X上で激しく争っている集団を眺めていて気になるのは、双方ともに自分たちを被害者とし、相手側を加害者として位置づけている点である。

 それぞれが相手を加害者とみなす関係性において、建設的な対話が行われる可能性はきわめて低い。双方が求めるのは、相互理解や妥協ではなく、相手側の謝罪や処罰だからである。相手側の「愚かさ」を衆目に晒し、論争のギャラリーとともに嘲笑することも処罰の一種ということになるだろう。

 それだけではない。自分たちが被害者である以上、多少乱暴な行動があっても許容されるという論理が導かれやすくなる。とりわけ相手が「権力」であるならば、正面から戦って勝つのが難しいため、ゲリラ的な手法を用いるよりほかないことになる。つまり、この論理のもとでは、相手の力が強ければ強いほど、乱暴な手段が、場合によっては嫌がらせや暴力までもが正当化されてしまう。

 そのため、相手が特別な力をもたない人物や集団であっても、時には社会的に弱い立場にあるマイノリティであっても、強大な力をもつことにされてしまう。たとえマイノリティ自身に力はなかったとしても、その背後に強力で邪悪な集団(典型的にはマスメディアや知識人、外国勢力など)が存在するとされる。それによってマイノリティこそが強者なのであり、その「特権」を剝奪すべきだという倒錯した主張が可能になるからである。

 言うまでもなく、こうした論理はいわゆる「陰謀論」とたいへん相性がよい。典型的な陰謀論では、社会を陰で操る集団が存在し、大多数の人びとを犠牲にして私利を貪っているとされる。陰謀論に依拠すれば、米国のトランプ大統領のように巨大な権力をもつ人物であっても、陰謀を張り巡らせる集団(主流メディアやディープステート=闇の国家)の被害者として位置づけることができる。昨年、大きな話題を呼んだ兵庫県知事選挙においても、「斎藤元彦知事は巨大な利権に切り込んだがゆえにパワハラをでっち上げられた被害者である」という陰謀論がソーシャルメディア上では広がった。

 このように陰謀論は力の強弱を逆転させ、強者から弱者へ、マジョリティからマイノリティへの攻撃を正当化する手段にもなりうるのだ。

(『中央公論』7月号では、この後も現代政治におけるメディア人間の跋扈や、SNS上で目立つ意見を世論と取り違える危うさ、意見の対立を「分断」に発展させないための処方箋などについて詳しく論じている。)

中央公論 2025年7月号
電子版
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津田正太郎(慶應義塾大学教授)
〔つだしょうたろう〕
1973年大阪府生まれ。英サセックス大学大学院修了、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程満期退学。博士(法学)。法政大学教授などを経て現職。著書に『ナショナリズムとマスメディア─連帯と排除の相克』『ネットはなぜいつも揉めているのか』などがある。
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