このときに、「経営者とは全き人格を求められる存在である」という、いまに至る私のベンチャー哲学が生まれたのです。当時は、こんな至難な哲学を求められるのがベンチャーなのかと、空恐ろしくなる思いでした。「そうか、途中で満足することなく、もっともっと自分を磨き、事業を通じて研鑽を積んでいかないといけないんだ」と、自分に言い聞かせました。こうした資質を私も最初から持っていたわけではありません。しかし、ベンチャーを始める人の資質としては必ず求められます。始めた以上は、「全き人格」の形成を目指して血のにじむような努力を積む。それがベンチャー企業のトップの義務であり、責任ではないでしょうか。
汗なき大金は人を変える
苦労して集めたお金を大切に大切に使って事業を継続し、伸ばしていく。ベンチャー経営者は毎日の悪戦苦闘のなかから自らの経営哲学を作り上げていく。そしてベンチャーキャピタルや上場を引き受ける証券会社は、厳しいプロの目で見守りながら育てていく。それがあるべきベンチャービジネスの環境です。
ところが現実は、そうなっていない。インキュベーターだの、オアシスだのとわかったような器を作って、若い経営者を蝶よ花よと無責任におだてている。そんな環境からろくでもない子供ができるのは当然です。ましてや赤字の会社にまで莫大な資金を調達してやるとなれば、まともな人間まで狂わせてしまうという気がしてなりません。確かに若い経営者のなかには、もともと資質に問題のあった人もいます。しかし、不十分な周囲の環境が経営者として成長するチャンスを奪い、より悪い方向に狂わせてしまったという思いが消えません。