死ぬことへの恐怖
角幡登山や冒険では死というものを前面に立てる。死の近くから帰還するのが究極の生となるわけですが、その究極の生と死との間には必ず距離があり、生きている限りはもっと行けたとの後悔が生じる。となると完全な納得は、死なない限りできないのではないかとも思うんです。
服部それは、まだ肉体的に若いから出てくる発想だな。まだ自分が身体的に人間の限界に近づける可能性があるからだよ。五十歳を過ぎて、自分の身体能力が人間の限界能力と乖離してくると、たとえ死んでも自分が納得する極限にチャレンジしたいという思いや発想が減っていく。いや、俺も若い頃は無様に生きるなら、死んだほうがマシだと思っていたけど。
角幡生きている以上、納得できないんだろうと思う一方で、去年、家で急に胃が痛くなったんですよ。痛みが引かなくて胃がんを疑った。そのときにせっかくだから意識的に死というものを見つめたんですが、子どもが僕のことを語り継いでくれたら受け入れられるんじゃないかとも思えて。
服部角幡君、それは君がおおよそすべてのノンフィクション賞を取って思い残すことがなくなったからだよ。
角幡いやいや(笑)。子どもができるということは、記憶として残ることなんじゃないか。誰かの中に記憶として残れば、死を受け入れることもできるんじゃないか。そう思ったんです。妻にその話をしたら、「あの子は一年もしたら忘れちゃう」って笑ってたけど。だから、「もし俺が死んだら、一日一回でいいから俺の話をしてくれ」と言いました。生者が死者にたいして唯一とりうる態度は語り継ぐことなんじゃないかと。
服部それは角幡君が大宅壮一賞を取ったからの境地だな(笑)。いや確かに、誰かに記憶されればそれは死ではない、という考え方は昔からあるね。
角幡この夏、服部さんが例の古民家で蜂に刺され、アナフィラキシーショックになって死を覚悟した、ということをあるエッセイに書いていましたよね。死ぬ瞬間を意識したときって、どうでした。
服部バチンって胸に焼き付けるような痛みがあって、多分スズメバチだろうけど、最初は股ぐらが無性にかゆくなって、そのうち血圧がサーって下がって世界が回りはじめた。で「やばいやばい」、あぁ俺死んじゃうのかなあと焦る一方で、血圧が下がって意識も低下していくから、切迫感はあまりない。特に恐怖を感じないんだよ。ただ、あー死ぬなーって。以前にも滑落して頭を打って、死を意識したことがあるけれど、そのときもプチンと意識が途切れている。死ぬのは意外と怖くないのではないか、と思っている。
角幡僕は三十歳のときに雪崩に遭って、雪洞で一〇分生き埋めになったことがあるんです。身動きが取れなくて、完全に死ぬのを待つ状態です。結局、一緒に行った仲間に助けてもらうんですけど、このときは「俺は何もやり遂げていない、無念だ」と思いました。でも、今同じ目に遭ったら、当時よりは受け入れられる気がする。それはある程度、自分のやりたいことをやったから。そして、家族ができた影響も大きいんじゃないかと最近は感じています。
服部今回の本にも書いていたけれど、それは自分自身を確立し、人生を自分の固有のものにしたこと。「角幡唯介」になったからでもあるのだろうね。
角幡それはあるかもしれません。
服部あとはさ、やっぱり角幡君が大佛次郎賞を取ったからだと思うよ。
角幡いやいやいや。(苦笑)
服部俺にも一個くらい回してくれよ。(笑)
無神経、でも、いい父ちゃん
服部小雪
服部小雪世の中には、家事や育児をしっかり分担している夫婦がいるという。すごいことだ。つくづく、うちはめちゃくちゃだったなあ、と思う。夫は外でやりたいことをやり放題、私は家にこもり、平和を保つためにひたすら耐えていた。子どもたちが自立する年頃になった今でも、そのことへの後悔を引きずっている。「繁殖は、人生の目的だ」などと言う夫の無神経さに、繁殖のその後が大切なのでは? と、心に黒いモヤモヤが湧き上がる。
今回の対談を聞いた後で、発見があった。冒険家は断固として温泉旅行には行かないが、自転車に乗って、子どもと小さな旅に出る。私は自分が勝手に描いた理想の家族像とのズレばかりにとらわれていたけれど、文祥も、角幡さんも、自分のやり方でせいいっぱい子どもを愛し、家族を大切にしてきたのだ。「父ちゃんは、父ちゃんだからいいんだよ」と、娘に言わせてしまう服部文祥は、くやしいけれど、いい父親なのかもしれない。
角幡唯介 著
選択肢、なし。ゆえに、自由。妻と娘、12頭の犬、35年の住宅ローン――かつては想像すらしなかった「関わり」のなかから生み出した、まったく新しい人生論。冒険家・角幡唯介が見つけた「自由の正体」とは。
服部文祥(はっとりぶんしょう)
登山家・作家
1969年神奈川県生まれ。東京都立大学卒業(ワンダーフォーゲル部)。96年から山岳雑誌『岳人』編集部に参加。K2登頂など、オールラウンドな登山を経験したあと、装備を切りつめ食糧を現地調達するサバイバル登山を始める。著書に『サバイバル登山家』『ツンドラ・サバイバル』(梅棹忠夫山と探検文学賞)、『息子と狩猟に』(三島由紀夫賞候補)など。2020年9月に『サバイバル家族』を刊行。
角幡唯介(かくはたゆうすけ)
作家・探検家
1976年北海道生まれ。早稲田大学卒業後、朝日新聞社入社。同社退社後に執筆した『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫山と探検文学賞を受賞。著書に『雪男は向こうからやって来た』(新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(講談社ノンフィクション賞)、『極夜行』(大佛次郎賞)など。2020年10月に『そこにある山』を刊行。