─二〇〇九年、三十一歳で躁鬱病(双極性障害)と診断されています。躁鬱人(躁鬱病の人を指す坂口さんの造語)で良かったと思う時、また、非躁鬱人に妬みを感じる時はありますか。
非躁鬱人の妻に「俺はお前に変わりたいよ、波がないし」と言うと、「いや、私の世界に来たら、多分すべてが灰色に見えてつまらないと思うわよ」と返されます。嫁さんによれば、生きていて心地良かったり、嬉しかったりはするけれど、僕みたいに、朝から幸せだと思えることはないと。その意味で、幸福を人一倍知っている可能性はありますよね。
嫉妬するのは必ず鬱の時です。浮き沈みがないのは幸せそうだなと、安定に憧れることはあります。けれど、躁状態の時は非躁鬱人に一切共鳴はせず、むしろ「そんな退屈で大丈夫?」「もっと面白いことやろうよ」と思うのが常ですね。
─ここ二年ほどは躁状態が続きながらも、波をうまく制御されています。
躁鬱人の職業って勇気みたいなものなんですよ。恐怖心を完全にカットできる特徴を持っていて、その反動が全部鬱の時に来る。だから、勇気の使い過ぎに注意しています。抑制の手段として有効なのが企画書なんです。つまり、実践に移すと疲れてしまうから、思い付いたアイディアを誰かが「ファンド見つけたのでやります」と言ってくれたら、ありがたく任せて、ロイヤリティを一〇%ぐらい振り込んでもらって、ということに事務的にはできますよね。『躁鬱大学』では、構想だけして実際にやらないという選択肢もありますよと、示したつもりです。
─現在は故郷の熊本を拠点に活動中だそうですね。
熊本では、最近始めた畑仕事をしていることが多いです。コロナ禍で大変なことになっていますが、僕は免疫を高めるために、ある程度の菌は保有していた方がいいと思い、野菜とか手は洗わないんです。風邪はここ二、三年引いていません。野菜を育て始めてからは、エネルギーが畑の中でうまく循環し始めました。躁状態の元気の良さは人間には煙たがられますが、植物はひと言も発さず、むしろ毎日世話をしたら全部応えてくれて、成長がとんでもないです。
─電話番号を公開して「いのっちの電話」の相談員も務めています。
基本的には着信のみで、自分から発信するのは折り返し時だけです。朝三時にかけてきた人に折り返すと、向こうは出るんですよ。そうして求めているところにエネルギーを出してあげて、求めていないところとは一切関係を作りません。電話の相談員としてはフル稼働していますが、実は僕は今人間とほとんど会っていなくて、植物とはかなり密に接触している状態ですね。
「電話」は一〇年間続けていますが、「人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる」ことがわかりました。相手には、「全員同じことを悩んでいるってことだけ考えてください」と伝えます。つまり、自分が悩んでいる時は、それをすべての人が悩んでいると思ってみてと。悩みを排泄物に喩えるなら、色や臭いはどうでもよくて、それを出したいだけなんだから、それを出したら終わりなんだよって。僕は悩みの「トイレ」を増やせば、自殺はなくなると思っています。
─悩みを聞く自身のケアはどうしていますか。
僕の中では、人の悩みは計算して解く問題みたいなジョイなんです。皆が問題を持ってくるのを喜んで解く感覚に近いですかね。本当に必要な場合は、手取り足取り細かい調整をします。ところが、必要でないと判断した瞬間には、「やる気ないんですけど」と話しちゃいますね。
─今後の執筆予定を教えてください。
次は「事務」について書く予定です。電話相談を受けていても、経理や家計簿、スケジュール調整などのセルフマネジメントが、うまくできていない人が多い。僕はそうした整理整頓が好きだから、事務の技術を磨けるような本を書きたいと思っています。
(『中央公論』2021年8月号より)
1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部卒業。作家、建築家、絵描き、音楽家、「いのっちの電話」相談員など多彩な顔を持ち、いずれの活動も国内外で高く評価される。『家族の哲学』『建設現場』『自分の薬をつくる』『苦しい時は電話して』『お金の学校』など著書多数。