近代科学との出会い
「怪談には二通りあると思う。話す人自身がこれは真個の話だと思って話すのと、始めからこれは嘘と知りつつ話すのと此の二通りある。前者は罪が浅いが、後者は嘘と知りつつ真個らしく話すのだから罪が深い。のみならず嘘を作った怪談は聞いても面白くない」
柳田國男は「怪談の研究」(1910年)冒頭にて、創作怪談を切って捨てている。もちろん幽霊が出るなどの不思議現象を信じているからではない。「本当にあった」とされる怪談を、作為を付け足さず生のまま提出した方がよい、という主張だ。
これは一見、現代的なスタンスに見える。ただ、ここでの柳田は現代の怪談好きのように「その方がリアルな手触りで面白い」といった理由で支持しているのではない。生の怪談は、その内容が「事実」でなくとも、裏に隠された「事実」があるはず、と考えていたからだ。
3ヵ月後に『遠野物語』発表を控えていた柳田は「天狗にさらわれた」「神隠しにあった」などの怪談を、実在する「山人」との接触譚を言い換えたものと捉えていた。「日本に住んではいるが、日本人と全く人種が異なり、山に生まれて山に死す我々と異った人間が、山奥に住んでいるのではないか」と。
周知の通り、これは誤った裏読みで、柳田は後に「山人」のテーマを撤回することになる。だが肝心なのは仮説の当たり外れではなく、怪談に対してのリアリティの捉え方だ。
科学的に実証できずとも、個人の不思議体験は存在するだろう(ここまでは現代怪談のスタンスと同じ)。重要なのは、それを分析し、隠された「事実」を発見、抽出すること。だから創作ではない生の怪談が必要だ。なぜその話が語られたかの科学的説明を探るために......という立場。
これは不思議体験それ自体を「本当にあった」と捉える現代の怪談好きとは微妙に、だが決定的に、立場が異なる。また、怪談・奇談をひたすら聞き集めた江戸後期の雑話集(『耳嚢』など)とも違う。むしろ根本的には、迷信を否定せんとした井上円了と目的こそ違えど同じ立場だ。もっともこの時代に近代科学の徒として怪談と向き合えば、そうした立脚点となるのは当然なのだが。
同年はまた、英米で興った「心霊主義」「心霊研究」(不思議現象を科学的に検証せんとする運動)が、遅れて日本に流入してきた時期でもある。この後、アカデミズムでは心霊研究が淘汰されるものの、心霊主義は文学方面や新興宗教へと継承され、大衆文化にまで届いていく。