令和3年谷崎潤一郎賞発表 『アンソーシャル ディスタンス』金原ひとみ
本年は第57回を迎え、令和2年7月1日より令和3年6月30日までに発表された小説および戯曲を対象として、選考委員による厳正な審査を重ねてまいりました。その結果、上記のように金原ひとみ氏の『アンソーシャル ディスタンス』を本年の受賞作と決定いたしました。
ご協力いただきました各位に御礼を申し上げますと共に、今後いっそうのご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
令和3年10月10日 中央公論新社
(『中央公論』2021年11月号より)
【受賞作】
アンソーシャル ディスタンス
金原ひとみ(新潮社)
〔正賞〕賞状
〔副賞〕100万円、ミキモトオリジナルジュエリー
[選考委員]
池澤夏樹、川上弘美、桐野夏生、筒井康隆、堀江敏幸
選評
池澤夏樹
●アンソーシャルディスタンス
一つ一つ丁寧に書かれた心理小説が五篇。
今を生きる普通の女たちの内面が赤裸々に語られるように見えて、実はそうではない。巧妙に作り込んであるのだ。
文芸というのは究極のところ文体でしかない。彼女たちの生きづらさを伝えるために文字どおり一行ごと一言ごとに工夫を凝らす。こんな国、こんな社会、こんな職場で日々を送る痛さを記述しているように見えても、この作者の筆は登場人物の心のずっと深いところに届いている。「マウント」とか「お花畑」とか「メンヘラ」とかネット隠語を使っているけれど、それは表層、彼女らが使いやすいツールでしかない。今はきらきらしていてもやがては陳腐化するだろうが、この本の価値は変わらない。これが心を扱うものであるから。
読んでいて思うのは、心は壊れるということ。その実例が五つ。
更に、登場するのがダメな男ばかりだということ。人間の半分を男という言葉でくくって期待感をかぶせる時代はとっくに終わっている。文芸は政治なんぞのずっと先を行っている。
表題作の、心中しようとか言いながらでれでれ旅をする二人に感情移入するのが心地よい。
川上弘美
●展開
金原ひとみの小説を文芸誌上に見つけると、つい読んでしまう。つい、というのは、本になってからゆっくり読みたいので雑誌では読まないでとっておきたいのに、数行読んでしまえばやめることができず、結局最後まで疾走するように読んでしまう、という意味だ。
本書の短篇、どれも雑誌掲載時に読んだ。依存。どの短篇を読んだ時も、この言葉を思った。人間はたいそう依存的な体質を持つ生物だとわたしは思う。たとえば、塩のこと。人間が料理に塩を使うようになったのは、塩が依存を引き起こす物質だからだと聞いたことがある。とすれば、調理されたものを食べている者はすべからくすでに何かに依存しているのだ。金原ひとみは、そのような、人間の根源的な「依存」について知悉している。本書を読めば、おそらく誰もが「自分の中にもこういうもの、ある」と、ぞっとしつつも、言外に自己を肯定された安堵感を覚えるのではないだろうか。
いったん読み始めた読者を手放さないのは、作者の表現に対する美意識のためでもあろう。溺れている者を描いているその言葉は、何にも溺れていない。極限にいる者を描いているその文章には、思わずくすくす笑ってしまうユーモアがある。なんと真面目に小説を書いているのだろうかと、一篇ずつを読み終わるたびに、いっそのことうらがなしい心もちになりもした。小説に対してとことん誠実な作者なのだと思う。その誠実さが、今後どのように展開してゆくのかも、楽しみなのである。
桐野夏生
●アディクトに関する考察
この二年間、新型コロナウイルスの話題が出ない日はなかった。ソーシャルディスタンスという語も、あっという間に日常語と化した。そんな中で本作が受賞したのは、時宜に適った内容だったからではないことを、あらかじめ断っておきたい。
とはいえ、人と人との密接な関係によって生まれる磁場の嵐のようなものを丹念に描く本作は、まさしく社会的距離に対するアンチであることは間違いない。
都会で暮らし、ちょっと気の利いた仕事もして恋人もいる。金にはさほど困っていない。そんなどこにでもいる若い女たちの心は、同僚のマウントだったり、恋人の精神状態だったり、自身のコンプレックスだったり、常にひりひりと空気にしみている。ほんの束の間でも、その心を癒やすアディクトの対象はどこにでも転がっているし、容易に手にも入る。だが、むしろ彼女の人間関係そのものが、アディクトであったりもするのだから、始末に悪い。この短編集は、すべてのアディクトに関する痛い考察でもある。
作者は、「ドブネズミ的憂鬱」「キャッチアンドリリース案件」など、ユーモアさえ感じさせる豊富な比喩と濃密な文章とで、その有様を活写している。とりわけ、性に関する描写は秀逸だ。これまでに男とのセックスを「居酒屋のホッケ一夜干し」に喩えた作品はあっただろうか。これでもかこれでもか、と繰り出される描写に圧倒される。
性をあからさまに書けばいいというものではない、という人もいるかもしれない。しかし、書こうとしても書けない言葉はたくさんある。作者は「書けない言葉」を使ってがむしゃらに、女たちの苦しみや痛みを解析してゆくのである。その力ずくで勇気ある様が、胸を打つ。
筒井康隆
●作者自身を追いつめることができる文章
大変な文章力である。作者自身が自分を追いつめることのできる文章力であり、他に向けた刃をそのまま自分に向けることも辞さない攻撃的な表現に満ちていて驚かされる。アル中、引き篭もり、容貌の劣化、整形依存、不倫、夫によるレイプとDV、得意先の男のパワハラなど、人間の暗黒面を描く筆力に感嘆せざるを得ない。小生、これまで文学的不快さを称揚してきたのだが、これはそんな不快さをとうに超越した過剰さである。
タイトルの「アンソーシャル ディスタンス」の章から感染恐怖症の母親との確執が出てきて、これに自殺願望が加わり、不快さが上昇する。最後の章が圧巻である。コロナ恐怖に対応する激辛志向と相まって、それまでにも化粧品などで頻出した、ここでは香辛料の羅列が効果をあげている。この章によって全体がまとまった。
通常の読者からは破れかぶれと思われるであろう「蛇にピアス」以来の作者への興味は小生ずっと持ち続けてきたが、これはその経歴が小生に似ていたからで、登校拒否こそしなかったものの学校をサボって映画を見歩いたり家に蔵書があって読みふけったり、文学者の家系だった彼女の履歴と重なりあうところが多く、現在の作者の作品を読んで、なるほどと思わされる。かといって破滅型の作家でもないことは保証できる。これからが楽しみな作家なのである。谷崎賞おめでとう。
堀江敏幸
●本来の距離感
コロナ禍という世相がなければ成り立たないような、秀抜なタイトルがまず読者の目を引く。しかし、ここに収められた五つの短篇のうち、感染症の広がりの最中で書かれたのは、表題作と最後の一篇のみである。
リアルタイムで起きている事象のなかで、男女の関係がどのように変化し、どのように変化しないか、そして免疫と抗体を獲得した者だけを生かしていく「世間」に似た見えない圧がどのように人と人との距離を壊していくのかを、この二篇は跳躍力に満ちた、ときに滑稽なほどえぐみのある表現でみごとにとらえている。
外の事象に対する怖れや焦りではなく、そうした心身の揺れを前にした狼狽を描くことによって、「ソーシャル」と呼び慣わされているものの姿が、次第に手触りのある空気としてあぶり出されていく。
ただしこの感覚は、コロナ禍以前に発表された三篇からも立ち上がってくる。登場人物の内側に巣喰う「ソーシャル」な何かへの違和感、自分のことを把握できていないという不安の根は、クールダウンを許さない平時の日常を見つめる彼らの目に、もうはっきりと映し出されているのだ。
じつのところ、「アンソーシャル ディスタンス」とは、作者が初期の頃から深めてきた主題でもある。本作は他人との距離ではなく、自分との距離を無慈悲に広げようとする「世間」への抗いをいっそう強めた力業だと言えるだろう。