評者:杉田俊介
本作は人間と邪神たちの共生を描くコメディあるいはギャグ漫画である。のどかな海辺の田舎町に住む少女・宮薙流々(みやなぎるる)はある日、「上位存在」である古(いにしえ)の神、マグ=メヌエク(マグちゃん)と遭遇する。上位存在とは、600年前に混沌教団に召喚された「混沌の邪神」であり、聖騎士団によって封印され弱体化されていた。H・P・ラヴクラフトを創始者とし後に体系化されたクトゥルフ神話がモチーフの一つである。「破滅」のマグちゃんはメンダコ、「狂乱」のナプタークはヒトデ、「摂理」のウーネラスはクリオネ、「運命」のミュスカーはイカ等々、神々のデザインは海洋生物をベースとし、ゆるキャラ的な外見をしている。
彼らが「邪神」とされてきたのは、あくまでも人間たちがそう呼びたがったからにすぎない。マグちゃんの「破滅」の能力も、人間たちが邪悪な欲望によって利用すれば大いなる破壊を招くが、ささやかな願いを叶えるための善用も可能だ。
「ウィザードリィ」という有名なRPGでは、キャラクターの性格が善(good)と悪(evil)という道徳軸のみならず、秩序(law)と混沌(chaos)という倫理軸によっても区分されている。この意味では、上位存在たちは善でも悪でもない。場面に応じて、その能力がカオスを招いたり秩序を実現したりするだけである。これに通じる『マグちゃん』の世界観には深い洞察がある。私たちは現実社会の中でgoodによってevilを打倒すべきだ、という欲望にあまりに駆り立てられていないだろうか。世界のあり方は決して一元的ではないにもかかわらずだ。
ここで重要なのは人間たちが「邪神」を誤解していたことではなく、神々の性格もまた人間との関係性によって変わりうる、という点だ。彼らの権能は人間的な善悪で割り切れはしないが、とはいえ無害とも言えない。その力が過剰に暴走すれば人間社会は混沌に陥る。人間と神々という異質な存在同士が日常的な関係を積み重ねつつ、互いに変化し合い、この世界に穏やかな秩序を与えていく――なお本作では混沌の象徴は台風や雪などの自然災害であり、調和の象徴が花火(≒マグちゃんの大爆発)である。
邪神たちの人間に対する姿勢はそれぞれ異なるが(供物を望む、精神を操作する、人類の苦悩を愛でる、支配し啓蒙するなど)、基本的には人類を同族争いばかりで進歩のない下等な生物とみなしている。その中でもヒロインの流々は無邪気で善良な少女だが、マグちゃんから「知性を感じぬ」「人類は退化した」と散々な言われようだ。
流々の「うほほい」という謎の声(?)は、シリアスな緊張感も、バトルにおける敵対性も、全てを等しくほんわかした無為の空気に引きずり降ろす。事実、喧嘩より仲良くする方が(正しいのではなく)簡単、と彼女は繰り返し言う。
『マグちゃん』は、戦闘や陰鬱さがインフレを起こしがちな少年漫画の誌面で、「非知性」的なものたちのユートピアをうかがわせてくれる。
(『中央公論』2021年11月号より)
批評家