評者:山本浩司
ショッキングな想定をしよう。もし自分にとって大切な人が時の政権によってある日突然連行され、強制労働の末に死を遂げたとする。あなたは計り知れぬ悲しみや怒りを覚えるだろう。しかし、大切な人を失った挙句に、次のようなことを何度も言われたとしたら、どうだろう。「その強制労働は実は合意の上に行われていた」「証言者は嘘をついている」「実は大規模な強制収容の事実はなかった」。
ホロコーストはあったのか。歴史についての知識はどのように形作られるのか。こう問いかけられると、遠く離れた出来事についての専門的争いに見えるかもしれない。しかし、ホロコースト否定が象徴している問題は、より深刻だ。それは、現在を生きる私たちが、過去に起こった人間の尊厳を踏みにじる行為とどのように向き合うのかという、社会に課せられた倫理的問題なのだ。
こうした悲劇的出来事について、例えば強制労働の全面的否定を試みたり、連行の規模を意図的に矮小化したりすることを「歴史修正主義」と呼ぶ。本書は、欧米における歴史修正主義の歴史的展開と特質について明快な文体で紹介した良著だ。
序章で著者は、結論ありきで矮小化を試みる「修正主義」を、さまざまな証拠に基づいた検証の末に行われる学問的見解の修正から区別する。これが手短な歴史学概論の役割を果たす。
歴史修正主義は第一次世界大戦後に転機を迎えたと著者は指摘する。敗戦後、ドイツ政府は巨額な賠償金の不当性をアピールするため外務省に「戦争責任課」を設置。望まない戦争に巻き込まれたことを宣伝すべく、国をあげて歴史の修正に取り組んだ。続く第二次大戦について、著者は、ホロコースト否定が最初にドイツでなくフランスで台頭した背景を説明する。どちらも多くの読者にとって新鮮な分析だろう。
70年代以降のホロコースト否定が、本書の中核をなす。史料の捏造が取り沙汰されたカナダでのツンデル裁判から、既存の史料を都合良く曲解し、ヒトラーの免責や毒ガス室の不在に結びつけたデイヴィッド・アーヴィングの裁判などが手際良く紹介される。修正主義と言っても色々あり、その判定には信頼できる専門家が不可欠なのだ。
もちろん、歴史修正主義をめぐる争いは専門家だけでは解決できない。「むしろ社会と民主主義との関係から考える必要がある」として立法の役割にも注目する著者の視点は鋭い。じっさい、ホロコースト否定を法律で禁止している国は、ドイツだけではない。フランス、チェコ、ポーランドなどが、それぞれのやり方でホロコーストや共産主義政権の犯罪の否定を刑罰化してきた。「敗戦国だからドイツは自虐史観を押し付けられた」という理解が視野狭窄であることに気づかされる。さらに著者は、欧州での刑罰化の試みを、自由な言論を重視し刑罰化を避ける英米圏の動向と比較する。SNSとポピュリズムの時代に「公知の事実」と社会集団の集合的記憶はどのように担保されるべきだろうか。
本書が提起するのは、過去と現在が交差し、被害者の尊厳、隣国との関係、未来への責任が入り交じる、困難な問題だ。歴史学の概論から始まる本書は、日本も抱えているこの困難な問題を市民として考え始めるための最良の手引きとなるだろう。
(『中央公論』2022年1月号より)
1971年愛知県生まれ。学習院女子大学国際文化交流学部教授。
早稲田大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。博士(文学)。
専門はドイツ現代史、ホロコースト研究。早稲田大学比較法研究所助手などを経て現職。
【評者】
◆山本浩司〔やまもとこうじ〕
1981年神奈川県生まれ。東京大学大学院経済学研究科准教授。英ヨーク大学歴史学研究科博士課程修了。Ph.D.(歴史学)。専門は西洋経営史、イギリス近世史。著書に Taming Capitalism before its Triumph などがある。