評者:石岡良治
2021年7月19日に『週刊少年ジャンプ』が母体のウェブサイト「少年ジャンプ+」で公開されるやいなや、ただちに大きな議論を呼んだ本作は、2人のマンガ家志望者「藤野」と「京本」の物語であり、2021年のマンガを語る上での最重要作品といっても過言ではない。
日本でエンタメ表現を目指す者にとって、今なおマンガは魅力的な媒体であり続けている。高名な美術作家や小説家の言葉として、実はマンガ家になりたかったが、シナリオあるいは絵が苦手なために断念したという述懐を見かけることも少なくない。マンガでは概して重要なのは「ネーム」すなわちコマ割りの設計であり、デッサン力は必ずしも要さないが、印象的な絵柄は不可欠であろう。そしてこの要件を単独で満たすことの困難から、原作と作画を別人が担うケースも多いのだ。
こうした事情をふまえると『ルックバック』の導入部は興味深い。小学校のクラスルームを4コママンガで楽しませている藤野が、不登校である京本の描いた風景4コマのデッサン力に打ちのめされる場面からはじまっているからだ。藤野のマンガは十分面白く、ネームの実力をうかがわせるのだが、それでも写実的デッサンに惹かれ、練習を重ねた藤野は、絵においてつねに自分の先をいく京本の凄さを再認識するのである。その後、小学校卒業を機に京本と実際に出会った藤野は、2人でマンガを描き、中高生時代は若手新人マンガ家として活躍することになる。このあたりの機微には『まんが道』(藤子不二雄A)や『バクマン』(原作・大場つぐみ、作画・小畑健)などの「2人組マンガ家マンガ」をコンパクトにまとめた味わいがある。
物語は背景を担当していた京本の美大進学を機にコンビが解消したあと急展開をみせる。連載マンガ「シャークキック」(藤本タツキの『ファイアパンチ』『チェンソーマン』を彷彿とさせる)を成功させアニメ化にも漕ぎつけた藤野が、「山形美大生通り魔殺人」の被害者に京本がいることを知るに至るのだ。本作がインターネットで議論を呼んだのは、主としてこの展開が現実の「京都アニメーション放火殺人事件」などを想起させるのではないかということと、創作にまつわる憎悪に端を発する犯行動機の描写が偏見を含むのではないかということで、8月2日には関連描写がサイトで変更され、単行本で再変更がなされた。
だが本作の重要性はこうした話題性だけでなく、むしろ京本の死以降の怒涛の展開にある。さらに重要なのは、この藤本タツキの半自伝的作品が、2人の「女性マンガ家」という虚構に仮託されることからほの見える一種の韜晦であろう。日頃映画愛を語り、近年の『週刊少年ジャンプ』作品に顕著な残虐表現を得意とする作者が、あえて能弁な言葉ではなく視覚表現でマンガ愛を綴ってみせたシンプルな感動作。だが本作は実際には1人の男性マンガ家が映画や音楽の要素を細部にちりばめつつ描いたフィクションなのだ。彼の今後の展開から目を離せそうにない。
(『中央公論』2022年1月号より)