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荒木優太 「転んでもいい主義」に込めた思い【著者に聞く】

荒木優太
『転んでもいい主義のあゆみ――日本のプラグマティズム入門』/荒木優太( フィルムアート社)

――書名にある「転んでもいい主義」とは何でしょうか。

 チャールズ・サンダース・パースという、プラグマティズム思想を始めた人が提唱した「可謬(かびゅう)主義」(fallibilism)を意訳した言葉です。日本では例えば、プラグマティズムの遺産を受け継いだ戦後の思想家、鶴見俊輔が可謬主義のことを「マチガイ主義」と訳しています。当初はそれをもじった「間違えてもいい主義」をタイトルに考えましたが、人々に慣れ親しんでもらいたい思いから、わかりやすさ優先で「転んでもいい主義」としました。

 もう少し踏み込んで言うと、鶴見俊輔が熱心に取り組んだ問題である転向から「転」の字を入れたという経緯があります。戦前のマルクス主義者、運動家たちが革命を目指して頑張るんだけれども、当時の特高による監視や弾圧が厳しくなって、マルクス主義はもうやめろと諭されるわけです。転向は「はい、わかりました。やめます」と言う立場。それに対して、いやいや革命を起こすのだと言って、後に英雄化していったのが、非転向と呼ばれる立場で、小林多喜二はその果てに虐殺されてしまったと。この転向の問題、つまり、ある思想にコミットしていたが、途中でそれを変えなくてはならなくなった。その後にどう生きたらいいかとの問いは、実は今日、非常にアクチュアルな問題ではないかと思ったんです。

――アクチュアルな問題とはどういうことですか。

 例えば今、フェミニズムが大きな力をもっています。一昔前ならばちょっとしたセクハラ発言、飲み会で好きな異性のタイプを聞くなどのことは日常茶飯で行われていたと思います。それが#MeToo運動以降のフェミニズムの潮流で、良くないことだと意識がアップデートされていった。そのこと自体は別にいいんです。ただ、果たして人間ってそう簡単に変わるものだろうかという問いがあると思うんですね。

 先述の鶴見は父親が鶴見祐輔という政治家だったので、そのことを常に考えていた。戦前は鬼畜米英でアメリカを倒せと言っていたのが、戦後くるっと変わって、民主主義最高だよねと。この変わり方があまりにスムーズならば、今コミットしている様々な思想的実践や倫理観も、また別の局面では容易に変わってしまうんじゃないかとの懸念が彼にはあったんです。人間は色々変わる、それは素晴らしいけれど、変わり方に自覚的でないと、単に空気に従順な人間になってしまうのではないか。それは危険なことでもあるだろう。この変わり方に反省的であってほしいとの願いもタイトルに込めました。

――2019年の編著『在野研究ビギナーズ』で一躍注目されていますが、本書との関連性はありますか。

 プラグマティズムは日本では主流になったことがないタイプの知の体系なんです。というのも、戦前の哲学界ではドイツの観念論系、カントやヘーゲルなどが強かった。対して、米国の哲学はなんとなく資本主義を応援している、軽薄みたいなイメージの中で受け止められてきた。なのでプラグマティズムの研究は、東京大学でなく早稲田大学など、私学の在野性を強くアピールしていたような所から出てきた人のほうが、うまく取り入れています。そのように見ると、在野研究からプラグマティズムへという流れは、私の中ではある種の一貫性、連続性があると思っています。いわゆる主流学界からは除け者にされているというか、少しマイナーな潮流が、在野研究の本を書いた自分としては、取っ付きやすく、興味深く思われました。

――今後の執筆テーマを教えて下さい。

 プラグマティズムと相性の良い「語用論」(pragmatics)です。例えば「昨日あのレストランに行ったみたいだけどどう?」と聞いたら、相手が「壁紙がきれいだったよ」と答えたとする。会話になっていないように見えますが、料理がまずいことを間接的に伝えているわけです。こうした、文脈やほのめかし、コミュニケーションで生じる微妙な意味を取り扱う語用論を、差別の問題と絡めつつ考えたいです。


(『中央公論』2022年2月号より)

中央公論 2022年2月号
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荒木優太
〔あらきゆうた〕
1987年東京都生まれ。在野研究者。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。著書に『これからのエリック・ホッファーのために』『貧しい出版者』『有島武郎』など、編著に『在野研究ビギナーズ』がある。
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