評者:川勝徳重
何らかの気候変動により空を厚い雲が遮り、日光がほとんど届かなくなった2321年。冬と夜が続き、地球上のほとんどの植物は枯れてしまう。その対策として死期の近い人間を約2年かけてゆっくりと植物に変える「転花」という技術が生まれる。本作の随所に描かれた植物はゆっくりと死にゆく人間の姿でもあり、光合成で酸素を作り人間を生かすものでもある。
主人公のトーシローは精神疾患を抱える母親の面倒を看るヤングケアラーである。彼はノルマをこなさねば給与も支払われない悪徳工場で働いている。金がなければ病院で母親の治療薬をもらえず、家に帰れば母親に虐待される。政府は「転花」を受けた人に1000万円支給する政策をとっており、追い詰められた彼は「心の豊かさ」を買うために「転花」手術を受ける。だがその支援金も盗まれる。
陰鬱なエピソードの連続だが、この「転花」の施術を行う国立転花院で幼馴染の女性と再会し、彼の境遇は好転する。彼女の口利きで国立転花院の職員となり生活は安定し、新しい人たちとの出会いもある。自分に残された時間が2年しかない恐怖を抱きつつも、わずかだが希望が見えはじめる。希望は光である。そして本作の大きな魅力に光の表現がある。
この漫画に描かれる光は光源の方向がはっきりした人工照明だ。ほぼ全てのコマに光源が設定され、それに従うように髪の毛の細かい塊や、スーツやパンツに繊細なタッチでグラデーションが入れられる。1種類だけ使用されるトーンは物の固有色ではなく、影の描写に使われている。カラヴァッジョの絵のように画面右上/左上から差す強い光に照らされたコマには、瞬間を描きながらも永遠を感じさせる静かさがある。
私たちが暮らす現実社会のネガティヴな面を抽象化したような世界観でありながら、それでいてやるせない読後感にならないのは、非凡な絵と演出によるところが大きい。
少し震えるようにゆっくりと引かれる描線は――人体や衣服のアウトラインに顕著だが――白い平面の画面に三次元空間を刻んでゆくような感覚があり気持ちがいい。有機的な植物のデザインと、直線ベースのモダンな建築の対比がいい。白と黒の配置、画面の粗密のバランスもいい。ともかくヴィジュアル面では頭抜けている。
藤本タツキ『チェンソーマン』第1部は極貧の少年が、国家組織の女性職員に拾われてその中で自己実現をしてゆく筋だ。そこから二転三転のどんでん返しを挟み見事11巻で完結した。本作も底辺生活者の青年が国家組織の一員として「転花」をめぐる事件の解決に奔走するが、今後どのような物語展開になるだろうか。
かつてならば社会から排除された主人公は、国家に反抗するのが定石であったが、両作品の主人公とも明日の飯を食うために国家組織に属するところから物語が始まる。ここに若い世代のリアリティとやるせなさがある。
(『中央公論』2022年2月号より)