――本書は2021年7月23日から2ヵ月間、東京西部、東部、河川敷で行った路上生活のルポです。最も辛かったことは何ですか。
雨が続いた日です。隅田川沿いの高速道路の高架下にいた時、4日間降り続いたことが忘れられないですね。あの時ばかりは社会から隔絶されているのだという実感が湧きました。
路上生活中、その時の環境によって、自分のホームレスを見る目も変わりました。食事をしている時は意外と楽に生きられるのだと思うんです。けれど空腹などで辛い時には、彼らを不憫に見る傾向があって、何を考えているのか、いつのことを思い出しているのかとか、色々考えました。
雨を凌げる場所が意外と少ないんです。上野駅前にいれば大丈夫なのですが、そこは基本的に朝になると退(ど)かないといけないので、どうしても濡れてしまいます。荷物もずっと持っているわけにはいかず、とはいえ公園に置いておくと、全部びしょびしょになって乾きません。
この本に、敵は「自然エネルギーと〔盗みを働く一部の〕ホームレス」と書きましたが、なぜか無性に物を拾いたくなる。食料以外にはお金で物を買うことがほぼなくなるので、何か落ちていると手に入れたくなるのです。使う気はなくて、もったいないから、ぐらいの感じですが、毛布を何枚も持っていたり、寝袋を5、6個持っていたりする方の心情は理解できました。
――一番驚いたことは何ですか。
年金をもらっている人が想像以上に多いことです。昔、保険料をちゃんと払っていたわけですね。年齢から考えると、バブルの時だと思うのですが、肉体労働者は年金に加入していて、老後の心配をする必要はそれほどなかったのかと。今の若い人は年金をもらえるかわからないという感覚だと思いますし、フリーランスだったら、払っていない人が周りに結構いる。そこの意識の差が、年配の人と今の若い世代の間にあるのかなと感じました。
情報の偏在もすごくありました。炊き出しがあるのを知らない方がいたり、丁度この時期に起きたメンタリストDaiGoの炎上した発言についてはほとんど関知されていなかったです。
住環境としては上野より新宿の都庁下が抜群に快適ですが、上野のホームレスは移動しないので、皆それを知らない。かつて集団就職で東北から上京した人は、最初に足を踏み入れた上野に特別な思い入れがあって動かない場合も多いです。生活保護受給者は都営交通無料乗車券を使って行き来できますが、ホームレスはそれが無理なので、移動の負担が大きいのも理由です。
――大学の卒業論文でホームレスの生活をテーマとされていますが、関心をもったきっかけは。
うちは父親がおらず母子家庭でした。母がお金に困っていたのを見てきたので、自分の将来は一体どうなるのかなという気持ちはずっとありました。
今も自分は、会社に所属しているわけではなく、いつ生活に困ってもおかしくないと思っています。首の皮一枚でつながっている感じが長くあるので、いざとなったらどうなるのかと、大学生の時から思っていました。
あと、違う世界を見たい思いがあります。普通に暮らしていたら、ホームレスの生活は見えてこないじゃないですか。実際にその世界に入ってみて、全然違うレイヤー(層)にいるというか、タイムスリップしたようなレベルの環境の変わりようで驚きました。
――今後のテーマを教えてください。
もう一度路上生活をしてみたいです。都内だけでなく、関西や地方都市、海外ではどうなっているのかに関心がある。河川敷が一番居心地が良くて、そこに住む人たちも面白かったので、河川敷だけでやってみたいとも思います。ホームレスの空き家が結構あり、そこに住んでしまうのも一案です。
反対に、これまで「西成」と「路上生活」に関するルポを書いてきたので、貧困というテーマから離れることも考えています。今全く興味がないことに首を突っ込めたらいいですね。
(『中央公論』2022年3月号より)
1992年生まれ。栃木県那須の温泉地で育つ。筑波大学在学中よりライター活動を始める。7年間かけて大学を卒業後フリーライターに。西成で2018年に生活した日々を綴った『ルポ西成――七十八日間ドヤ街生活』が初の著書。