評者:佐藤哲彦
大学で教えていると、学生たちの敬語をめぐる言葉遣いが、アルバイト経験や就職活動を境に、しばしば急速に変化することに気づかされる。
最近では、インターンシップから戻った学生に指示を出すと、「かしこまりました」と応答が来た。「メイドカフェか」と突っ込みたくなるような光景である。そしてその少し前から、ゼミ発表では「発表させていただきます」が使われ始めた。一人が使い始めるとさざ波のようにそれが広がり、瞬時に「させていただく」共同体が出来上がる。君たちはそんなに就職活動に飼い慣らされているのかと嘆いていたが、気がつけばすでにいたるところで、この「させていただきます」が響いている。
こうした「させていただく」の氾濫について語用論(「誤」用論ではない)から接近し、そこに表れる社会の変化を考察したのが本書である。本書は評判の前著『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)のエッセンスを抽出し、新しい例を加えたものである。それゆえ「させていただく」の多用を告発する本ではない。
語用論とは実際のコミュニケーションを観察してその機能などを分析する言語学の一分野である。そこで本書は敬語の歴史的変化を基礎に、どのようにして「させていただく」が多用されるようになったのかを調査から実証的に明らかにしたものだ。
本書を読むといろいろ教えられる。たとえば。敬語は従来、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3種であったが、今日では丁重語と美化語が加わり5種に分類されること。「させていただく」を考える上で重要な丁重語は謙譲語から分かれたが、謙譲語がへりくだる相手を必要とする一方、それを必要としない言葉であること。いわば、自分を「下げる」ことで聞き手一般を「上げる」敬語であり、不特定多数を相手に使いやすい。さらに戦後社会の民主化により上下関係よりも横のつながりを重視する「敬語の民主化」が生じたことや、敬語にこめられる敬意には次第にすり減る「敬意漸減の法則」があることなど、敬語に関するさまざまな疑問が払拭される。
とくに「敬意漸減の法則」のために、かつて使われていた「いたします」「させてくださる」「さしあげる」などが使いにくくなり、たどり着いた先が「させていただく」だったという議論は納得のいくものである。しかも「敬語の民主化」によって、敬意は主に言葉による「距離感」で示される。「させていただく」はこの距離感コントロールに極めて優れた言葉であることが論じられている。
しかし「させていただきます」の後半の言い切り部分(いただきます)は聞き手とのやりとりを要請しない形を示しており、それが現代の人間関係の問題を表しているとも指摘される。
言葉は社会的なもので、それに付随する規範や期待から我々は逃れることができない。であれば、本書の指摘は、敬語運用が人びとの意図を超えて歴史的で規範的なものであることを教えてくれる。つまり人びとが敬語を誤用しているわけではないということだ。学生もまた、社会の要請に巻き込まれているに過ぎないと、そういう風に眺めることができるだろう。まあそれでも、「かしこまりました」はちょっとないと思うけれども。
法政大学文学部教授。お茶の水女子大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。
専門は言語学。共編著に『歴史語用論入門』、単著に『「させていただく」の語用論』などがある。
【評者】
◆佐藤哲彦〔さとうあきひこ〕
1966年東京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退。博士(文学)。専門は社会学、薬物政策研究、ディスコース分析。著書に『覚醒剤の社会史』『ドラッグの社会学』などがある。