松本を笑わせてのし上がる
分析芸人が展開するお笑い論の大半は、松本人志の影響下にある。YouTuberとしても活動するオリエンタルラジオの中田敦彦は、笑いの競技化について以下のような持論を述べている。
「漫才、コント、大喜利。これが今、芸人の評価軸となる三大演芸です。松本さん、そしてダウンタウンさんが90年代、00年代に黄金期を築いた競技であり、松本さんは今も、若手の登竜門である「M-1グランプリ」「キングオブコント」「IPPONグランプリ」に関わっておられます。つまり、価値基準である松本さんにウケないと、面白いと認められない世界なわけです」(『日経エンタテインメント!』2016年7月号)
ここ30年、お笑い界の構図は、戦国時代というより江戸時代に近かった。天下を取った芸人=城主の元へ馳せ参じた若手がわらじを脱いで芸をさせてもらう。ビートたけしや明石家さんまを笑わせることでのし上がる構図である。今は誰を笑わせるのかというと、大喜利で勝敗をつける「IPPONグランプリ」(フジテレビ)や、芸人が"笑わせ合い"でバトルする「ドキュメンタル」(Amazon Prime Video)などをプロデュースし、笑いの競技化を推し進めてきた松本人志だ。
競技化された賞レースに挑む上で、傾向と対策が生まれるのは必然。オードリーの若林正恭(まさやす)はM-1に臨む際、以下のような対策を練っていたそうだ。
「俺が自分を「ピュアじゃない」と思ったのは、分析してたよね。M-1準決勝は放送作家の関西寄りの人たちが7人で選ぶってこととか。例えばだけど「絶対、松本さんが笑う漫才を作ろう」とか、そういうイメージをしてたよね。客っていうことで考えなかった」(ABEMA「しくじり先生俺みたいになるな!!」22年3月11日放送)
客を笑わせるためではなく、採点されるための漫才だったということ。「M-1グランプリ2020」覇者・マヂカルラブリーの漫才について「あれは漫才なのか?」と論争(ボケの野田クリスタルがほぼしゃべらずに動き回り、相方の村上が状況説明しながらツッコミ続けるスタイルが物議を醸した)が巻き起こった際の、松本の見解が印象深い。
「野球の大一番のときにピッチャーが"消える魔球"を投げたら我々プロは「すごいな」って思うんですけど、にわかプロ野球ファンは「あれは卑怯だ。あそこで魔球投げるかね」みたいな意見を出してくるんですよ。これはたぶん、一生交わらない。で、交わらないからこそ我々は飯が食っていける」(フジテレビ「ワイドナショー」20年12月27日放送)
あの議論そのものは不毛だったと思うが、なんにせよ、客(素人)ウケより演者(プロ)からの評を重視する松本の"芸人至上主義"が垣間見える総括だった。また、94年の松本の著書『遺書』で注目された「芸人は客を選べる」という持論が未だ彼の中で揺るぎないのもわかる。
笑いの競技化を推し進めてきた松本が審査するM-1での漫才と、他所でやる漫才が異なるものになるのは自然なこと。事実、紳助はDVD『紳竜の研究』で「M-1の戦い方は、普通の舞台の戦い方とは違う。テレビ芸やNGK(なんばグランド花月)でやる芸とは違う。M-1用に作ればええねん」と断言している。