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寺西ジャジューカ お笑い界の競技化がもたらしたもの――芸人にとって歓迎すべき状況か否か

寺西ジャジューカ(フリーライター)

「客の笑い」より「M-1優勝」

「M-1グランプリ2008」を制したノンスタの石田は、「M-1を制した漫才は今でもやる?」という質問に対して、「まったくやりません。優勝した後は、その余韻でちょっとやっていましたけど、あんまりウケませんでした」(「Number Web」20年1月21日)と回答した。

 M-1で勝てる漫才の定義......という言い方は危険だが、大雑把にそれに近いものがあるのは事実。09年におけるインタビューで、漫才コンビ、東京ダイナマイトのハチミツ二郎が口にしている。

「専門的なことを言えば、優勝の仕方はわかってるんです。軽くてもいいからボケをたくさん打っていく。ツッコミが大声を出してキレるシーンがある。で、最後はどんどんスピードが上がっていく。これで優勝できるんです。サンドウィッチマン、NONSTYLE、パンクブーブーとか。決勝ではそれが望まれているっていうのはわかってることなんですけど、(自分は)ひっくり返したくなるというか」(GYAO!「芸人ロングインタビュー #1東京ダイナマイトハチミツ二郎」)

 M-1を語る上で今や当然の基準になった、「手数(てかず)」(一つの漫才にどれだけボケの数を入れられるか)を意識するスタイルのことだ。なりふり構わずそれを追求し、M-1仕様のネタを仕上げたのがNONSTYLEだった。何秒以内につかみ、何秒に1個のボケを入れ、ネットには流せないから歌ネタは避け、DVD化された後に見ると不自然だから時事ネタはやめる。これらの不文律は"笑いの競技化"と言うより、"笑い"と"競技"が別個のものとして分離する兆しにさえ思えてくる。

 昨年のM-1の敗者復活戦で、漫才コンビのハライチは規定時間の4分を超えてもネタを続け(時間オーバーを告げる警告音に「うるせー、バカ!」と叫んだ)、お笑いファンから非難を浴びた。彼らが「ルール違反」と批判されるのもわかるが、どうにか漫才を着地させようとする芸人の生理より、ルールを優先して潔く退場する態度のほうがお笑いとして果たして面白いのか? という疑問にもぶち当たる。売れるための手段としてM-1は有効だが、「客の笑いをとる」より「M-1優勝」を目的とするのは本末転倒ではないのか? という疑問だ。

 ノブコブ徳井はM-1に特化した漫才コンビの存在を憂う。

「(芸人の)病に近いものは多く見てきました。俺らの世代はめちゃくちゃ多いんですよ。「(普段は)ウケなくてもいい。でも、M-1だけでは輝く」という」(ABEMA「しくじり先生俺みたいになるな!!」22年3月11日放送)

中央公論 2022年6月号
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寺西ジャジューカ(フリーライター)
〔てらにしじゃじゅーか〕
1978年東京都生まれ。数年間の異業界での活動を経てライターに転身。得意分野は芸能、(昔の)プロレス、音楽、ドラマ評。『証言UWF』『証言長州力』でも執筆。
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