評者:馬場紀衣
少し前にインターネットでワンピースを海外から取り寄せた。便利な時代である。新型コロナウイルスの流行で、外出する機会はずっと減ったのに、新しい靴も買ってしまった。いったいどこへ出かけるというのか。でも、これにはきちんと理由がある。危機的状況でも(だからこそ)、ファッション業界では新たな表現やメディアが続々と誕生し、購買意欲がそそられたのだ。
コロナ禍でファッションは停滞し、新しいものは生まれないだろう。そんなふうに思ったのは私だけではないはず。ただ、そんな懸念はあっけなく裏切られてしまった。
本書は、ファッション週刊紙の人気連載を書籍化した一冊。著者が「高い芸術性とあざといまでの商業性、貴族的排他性と貪欲に裾野を広げようとする大衆性が同居する、実に矛盾に満ち満ちた世界」と呼ぶファッションは、コロナ禍という危機的状況下においても、時代のムードを先んじて具現化し、見事に社会に示すことに成功した。
それでも、パンデミックがファッション業界に与えた影響は絶大だった。なかでもファッション誌は撮影のみならず、雑誌の作り方の変更を余儀なくされることとなったのだから。読者のなかには「ファッションどころじゃない」という人もあった。こうした状況に鑑みて、年2回刊の『ルラジャパン』はスカイプによるリモート撮影を実施。『ヴォストーク』は特集主義を取りやめた。一方、『ギンザ』編集部は、雑誌=娯楽と捉える読者のために「変えない」ことを選択した。
ファッション史学者ナタリー・ヌデールは「私たちは直近のトレンドを投げ捨て、"欠乏の美学"に立ち戻ろう」と唱えた。大恐慌後や第二次世界大戦後には、実用性や衛生性を重視し、シーズンレスでミニマルなデザインが流行したという。たしかに贅沢品、なのだろう。流行に過ぎないファッションは贅沢な気分を与えてはくれるが、生活の必需品というわけではないから。
今や私たちの世界は、差し迫って必要ではないもので溢れている。いい本を読むこと、美味しい食事をとること、生き抜くために最低限必要なもの以外はすべて贅沢品だとファッションデザイナーのマーク・ジェイコブスは米誌『WWD』で語っている。しかし、彼に言わせれば、創造性が織りなすものはすべて「人びとが必要としている贅沢品」でもあるのだ。
こんな時代だからこそ生まれたものもある。在宅ワーカーのためのZoom映えTシャツ「Remo-T(リモティー)」や、自宅で仕事をするためのパジャマ「WFH(Work From Home)Jammies」、巷に溢れる斬新なデザインのマスクやフェイスシールドは、まさにコロナ時代の「スーヴニール(お土産)」と呼べるものたちだ。「コロナウイルスもどんどん変異するように、ファッションもウイルスに負けじと変異」しているのである。
興味深いのは、本書が衣服について語らずにファッションを語っていること。ブランドの政治的傾向、サステナビリティというミッション、新しい性のアイデンティティ、あらゆる事象が行き来する。ファッションはもうとっくに、単なる文化の域を飛び出て時代の潮流と思想を伝えるジャーナルとなっていることを、著者は多様な側面から浮き彫りにする。
(『中央公論』2022年7月号より)
◆菅付雅信〔すがつけまさのぶ〕
1964年宮崎県生まれ。編集者、株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役、東北芸術工科大学教授。法政大学経済学部中退。
著書に『はじめての編集』『物欲なき世界』『動物と機械から離れて』など。
【評者】
◆馬場紀衣〔ばばいおり〕
1990年東京都生まれ。12歳でニュージーランドへ単身バレエ留学。オタゴ大学で哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒業。舞踊、演劇、ファッションなどすべての身体表現を愛するライター。古今東西の物語を集める古書蒐集家でもある。