「発想が大事」という革命
矢野 例えば松本人志が使っている言い回しなどを真似ると、仲間意識が芽生えるというか、連帯していく感覚が自分にもありました。とんねるずの業界用語も同様。連帯は排除の裏返しでもあるから、そこには二面性もありますが。
一方、少し違ったバラエティの見方もできると思っています。松本人志が1994年の著書『遺書』のなかで「発想が大事」「ネクラなやつのほうが実は面白い」といったことを主張して、それまでの価値を転倒させていきますよね。
それは限られた天才にしかお笑いは出来ないと言っているようですが、実はお笑いの間口を広げたのではないか。松本人志が「身体より天才的な発想」と言うことで、むしろみんながお笑い的なものに参入出来るようになった、という逆説があった。それが大喜利とか、大喜利をさらに競技化した「IPPONグランプリ」という番組にもつながっていく。
ちょうどこの間「IPPONグランプリ」のスピンオフ番組で、芸人のバカリズムが、「誰でも面白いことを一回は言える。何回も言うことが難しい」と言っていました。逆に言えば、誰でも一回は面白いことが言えるんです。こうした転換もお笑いマナーが広まった一因になっていると思いますね。
コメカ そしてどんどんゲーム的になっていったわけですよね。大喜利自体はもちろん古くからある形式ですけど、例えば現在のTwitterなんかは、定期的になんらかの時事ネタが話題になって、ユーザーたちが毎回、大喜利感覚でリアクションする状況が常態化している。大喜利的なコミュニケーション構造が、一般人にも身近なものになってしまっているというか。
パンス 1992年に刊行された『少年犯罪論』(芹沢俊介編著)のなかで、向井吉人(よしひと)という小学校の教員の方が、「ことばへの犯罪」という論考を書いているんです。
90年代前半の時点で、向井は小学校の生徒が変わってきていると興味深い見解を示しています。それまでは生徒が騒いだりして先生が怒るという関係性だったのが、先生がちょっとミスをすると、生徒が先生にツッコミを入れてくるようになっていったそうです。
その影響元として挙げられていたのが、ビートたけしが「先生」として司会を務めたクイズバラエティ番組の「平成教育委員会」でした。誤回答するのをいじるみたいな感覚が、それを通じて備わりつつあるのではないかと。
考えてみれば、その論考で言及されていた小学生たちは我々と同年代でもありますね。
コメカ 誤回答を面白がる感覚は、2000年代に放送されて「おバカタレント」みたいなパッケージで人気を博した「クイズ!ヘキサゴン」までつながる。クイズを通してタレントたちから「おバカ」性を引き出すことによる笑いが目論まれていた。「めちゃ2イケてるッ!」で行われていた抜き打ちテスト企画も同じような構造でした。