ひな壇芸人の誕生
矢野 ビートたけしが先生役で、回答者として生徒役のタレントが並んでいるというあの空間設計が面白いと思う。
僕は教育実習をした経験があるのですが、研究授業で指導教員に「手前の人を指しすぎ」「お調子者の子に頼りすぎ」と言われました。
そのあとに「アメトーーク!」の加地倫三(りんぞう)プロデューサーの著書『たくらむ技術』を読んだら、ナインティナインの矢部浩之が宴会でも一番遠くにいる人をちゃんといじってあげていてすごいということが書かれていた。読んでいて、教育実習の時に言われたことそのままだと思いました。つまり教員はそういう司会スキルが求められるということです。
「アメトーーク!」でも雨上がり決死隊が司会となって、ベテランから初めて出るお笑い芸人まで、全員を活かす。この時、ひな壇によって出演者全員の顔が見える空間設計が非常に学校的になっていると思います。
パンス ひな壇的な設計は、いつ頃が発祥なのでしょうか。
コメカ ひな壇芸人という言葉が意識的に打ち出されるようになったのは、やはり「アメトーーク!」のあたり、2000年代からだと思う。
「アメトーーク!」での雨上がり決死隊は、それまでの萩本欽一、ビートたけし、島田紳助らのように、場を支配・制圧するような立ち回りをしていたわけではない。毎回ひな壇側に裏回しをする進行役がいて、雨上がり決死隊と芸人たちがみんなでキャッチボールをしながら話を進める形式になっていた。