ミニチュア特撮からの決別?
監督の樋口真嗣が「オリジナルが好きな人に向けてサービスしましょうということは、実はほとんどやっていない」(『シン・ウルトラマン』パンフレット)と語るのとは裏腹に、『シン・ウルトラマン』は全体を通して『ウルトラマン』へのオマージュに溢れている。それも、作品そのものだけでなく、「ゾーフィがゼットンを操る」という当時の少年誌に掲載された誤情報さえ、あえて本作の展開に取り入れるという徹底ぶりである。それゆえ、『シン・ウルトラマン』が旧作から継承したことを逐一挙げようとすれば、きりがない。そこで、まずは本作が過去の特撮と大きく異なっている点から検討を始めることにしよう。
すると、本作では登場するキャラクターが着ぐるみではなく、CGによって描かれていることに気づくはずだ。最近の特撮テレビ番組でもCGの比率が増える傾向にあるが、まだ伝統的な着ぐるみとミニチュアによるシーンも数多く使用されている。それに対して、本作では『シン・ゴジラ』に続いてウルトラマンや怪獣の着ぐるみを制作せず、全編にわたってCGが使われた。ミニチュアと着ぐるみを使う円谷英二以来の伝統的な特撮からの決別。これが、本作を従来の特撮作品から区別する大きな特徴である。
ところで、「特殊撮影技術」の略称であることからわかるとおり、特撮とは、そもそもは映像技術を指す言葉である。特撮にどんな技術が含まれるかは時代によって異なるが、CGが登場して以降、それとの対比でミニチュアや着ぐるみを使う円谷以来の伝統的な技法を「特撮」と呼ぶことが一般的になっている。
この対比で特撮が語られる際には、最新の「リアル」なCGと、昔ながらの「チャチ」な特撮というイメージが伴うことも多い。あるいは、このイメージに対抗して「特撮だからこそ撮れる映像がある」と主張されることもある。だがいずれにせよ、特撮ジャンルの作品をめぐっては、CGを使うか特撮を使うかが、重要な論点の一つになっていることは間違いない。
では、『シン・ウルトラマン』の場合はなぜCGが選択されたのか。本作の准監督を務めた尾上克郎(おのうえかつろう)は、パンフレットで「特撮かCGかに関しては企画次第」としながら、今回は「より多くのお客様に満足していただける、間口の広い映画にする」ためにCGを使う判断をしたと述べている。コアな特撮オタク向けの企画なら伝統的な手法もありだが、それでは現代の一般観客に訴えかけることはできない。だからこそ、一般観客を獲得して特撮の古典を現代に蘇らせるためには、円谷以来の伝統的な特撮からの決別が不可避となる。これが製作陣の下した決断であった。
一般観客を獲得するために、「チャチ」な特撮から「リアル」なCGに移行する。時代の流れに合わせたこの切り替えによって、『シン・ウルトラマン』は『シン・ゴジラ』に続いて成功を掴み取ることができた。一見するとこのようにまとめられそうだが、実のところ、話はそう単純ではない。というのも、本作や『シン・ゴジラ』では、CGを使うことによってミニチュア特撮を再現するという倒錯的な試みが見られるからだ。それはいったい、どういうことなのか。