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オバタカズユキ×えのきどいちろう×武田砂鉄 小田嶋隆とその時代――名コラムニストの仕事と思考を振り返る

オバタカズユキ( コラムニスト、フリーライター)×えのきどいちろう(コラムニスト)×武田砂鉄(フリーライター)

ツイッター以前と以後

武田 小田嶋さんの書くものの変化を考えた時、ツイッターの影響は大きかったと思います。NBOだけでなく、雑誌『日経ビジネス』でも連載をしていましたが、いつからか紙よりウェブを重視するようになったそうです。で、それは、コラムというより「メイキング」だと。まずはその週の自分のツイートを示す。それにどんな反応があった、それってこういうことだろうか、と続けていく。頭のチャンネルが切り替わっていきましたね。


オバタ ツイッターを始めて以降、すごく変わりましたよね。80年代のコラムニストといえば、時代の最先端の情報や気分を紹介して「若者よ、続け」と、お兄さん役をやることが多かった気がします。小田嶋さんは、反対にそうした世間の空気や流行にまとわりつくほころびを突いたり、うさん臭さを言葉にしたりして、最後は笑いに落としていた。800字とかの枠内で、変化球をどう投げ込み、どう読者を裏切り、納得させるかに言葉の職人として傾注していた印象があります。でも少しずつ、直球勝負のお題が多くなって。覚えているのは、2000年の『人はなぜ学歴にこだわるのか。』という本です。のちに『地雷を踏む勇気』という本を出していますが、学歴なんてまさに一番の地雷を正面から踏みに行ったようなもの。その後は雑誌不況も影響してか、小田嶋さんにとっても低迷期だったと思います。08年からNBOの名物連載「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』」 を始めて、最初は昔っぽかったのが、だんだん長く、回りくどくなっていった。ただ、文章がうまいので読ませるんですよね。昨今は左傾化したと言われていたように、政治的な物言いが多くなっていた。その変化がなぜ生じたのかを聞きたかったんですが、聞けないままになってしまいました。


えのきど 僕がツイッターを始めたのは3年ぐらい前なんです。公式ツイッターを任せていた人が亡くなってしまって。僕はお金をもらえないところに書くのは気乗りしないので、今に至るまでブログとかもやったことがありません。それでいうと、小田嶋さんはものすごく早くからウェブに着手していますよね。


オバタ 98年に公式サイトを立ち上げて、04年からブログをやっています。ツイッターは、NBOの連載を始めてから、編集者に勧められて始めたと聞いています。


えのきど ようやく自分もツイッターをやるようになって、小田嶋さんのウェブ上での存在感に驚きました。ライターを始めた頃から知っていましたが、完全に油断していました。ナンシー関やいとうせいこうとか、おもしろい書き手が続々と登場している中、小田嶋さんの語りは古臭く感じられて、同世代の書き手としてあまり意識してこなかったんです。


オバタ わかる気がします。昔、様々な業界の人物たちのポジショニングを十字マップ上に置くという仕事をよくしていたんですが、ライター編を見返したら、小田嶋さんが載っていなかったんです。難しいんですよね、四象限を作ってみても、彼をどこに置くのかが。内田樹(たつる)さんや平川克美(かつみ)さんと親しくなる前は、まったく一人だったような気がするんです、小田嶋さんって。どの系統にも属していなかった。


えのきど でも、ウェブでは僕が思うより遥かに彼は風圧を受けて、覚悟を持ち、人の前に立っていた。あの人はパフォーマーなので、「アベガーとか言ってんじゃねえよ」という風圧が来た時、ストレートに返す時と、ひらりとかわす時がある。「これがおまえらの見たい小田嶋だろう」みたいなことも、わざわざやってみせる。本当は、風が吹かない中で静かに書いているほうが、仕事できるじゃないですか。でも、小田嶋さんはどこかのタイミングで、引き受けちまおうと思ったんだと踏んでいます。それは、先の『災間の唄』を読んで思いました。


武田 『災間の唄』は大量のツイートに僕がペケをつけ、一次選考、二次選考という感じで編集者とやりとりして、今の形になりました。その際、しょうもないギャグはおおよそ切ったんです。だから、あとがきにもありますが、もう一冊、バカなツイートを集めた『災間のバカ』を作ってほしいと言われました。でも僕は、「出したら大変なことになる」と思って無視しました。(笑)


えのきど 『災間の唄』を熟読して「なるほど」と思いましたね。コラムニストはその場、その時という限定された中で勝負していくもの。頭上に競馬のオッズ板みたいなものがあって、一番人気は何倍とか、場の空気を読む。みんながどう風を起こし、その風向きを読んで、勝つかどうかは別にして「じゃあ、俺はこの大穴を買ってみせるぜ」とやってみせるおもしろさ、鮮やかさが芸になる。その場をどうつかまえるかなんです、コラムニストの仕事って。で、小田嶋さんは、東日本大震災が起き、政治がズルズルになって嫌な空気が蔓延していく中で、ある時、考えを変えたのでしょう。熟慮断行じゃなく、勘で。「ふざけんな、やってやるよ」という、何かそこにはジャンプがあった。雑誌だけ続けていたら違っていただろうから、きっかけは、やっぱりウェブやSNSだったと思います。なので、亡くなった時、社会派の骨のある書き手とか評されているのに違和感を覚えました。


武田 ここ10年ほど、小田嶋さんが政治的な発言を繰り返していたのは致し方ないと思います。今の政治体制に賛成する・しない以前に、政治家が「文書がありません」「忘れました」「誤解を招いたとしたら謝ります」など、とんでもない言い分を繰り返してきた。えのきどさんが言うように、小田嶋さんにとって「その場」の中心が、その時々の社会情勢になってきたんだと思うんです。目に映るものが、ただただどうしようもない政治の姿だった。反権力なら、現在の政治をいかに解体するかを考えますが、たとえば『場末の文体論』には「選挙に出るようなヤツには投票したくないわけだよ」なんて書いてあるわけです。


オバタ そこは、小田嶋さんに一番共感していたところです。


武田 短いフレーズですけど、非常に小田嶋さんっぽい。結果的に反権力に見えたとしても、反権力とは違う立ち位置だったと思います。


(続きは『中央公論』2022年10月号で)


構成:澁川祐子
撮影:高橋マナミ

中央公論 2022年10月号
電子版
オンライン書店
オバタカズユキ( コラムニスト、フリーライター)×えのきどいちろう(コラムニスト)×武田砂鉄(フリーライター)
◆オバタカズユキ 〔おばたかずゆき〕
1964年東京都生まれ。一瞬の出版社勤務を経てフリーライターとなり、社会時評、取材レポート、聞き書きなどを執筆。著書に『何のために働くか』『早稲田と慶應の研究』など。

◆えのきどいちろう
1959年秋田県生まれ。大学在学中に『宝島』で商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載する一方、ラジオなどで活躍。著書に『F党宣言!』『みんなの山田うどん』など。

◆武田砂鉄〔たけださてつ〕
1982年東京都生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てライターに。著書に『紋切型社会』『わかりやすさの罪』『マチズモを削り取れ』『べつに怒ってない』など。
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