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松本直子 報道写真家・岡村昭彦の真の姿を【著者に聞く】

松本直子
岡村昭彦を探して──ベトナム戦争を報じた国際報道写真家の光と影/紀伊國屋書店

──ベトナム戦争の写真で有名な報道写真家の岡村昭彦さんのことを、姪である松本さんが書いた本です。どんな伯父さんだったのですか?


 実は数えるほどしか会ったことがないんです。最初は10歳のとき。彼がまだ写真家になる前ですが、第一印象は、いったいこの人は何の仕事をしているのだろう......というものでした。

 そうしたら2年後に、家に英文グラフ誌の『LIFE』がたくさん積んであって、わが子の遺体を抱く南ベトナム政府軍兵士や、アメリカ軍事顧問の遺体の写真が載っていました。岡村昭彦を一躍有名にした『LIFE』1964年6月12日号の9ページにわたる特集です。エディターズ・ノートに、あの〝昭彦おじちゃん〟の憂いを帯びた顔写真が載っていました。

 これ以降、岡村は日本のテレビや新聞などによく取り上げられるようになります。彼は若い人の憧れでした。私も、岡村の『南ヴェトナム戦争従軍記』などを読み、大学1年の北海道一周旅行の途中で、当時、北海道にいた岡村と会いました。世間の評価とは別に、幼い頃から芳しくない話も聞いていましたが、その頃、任侠映画が好きだった私には、彼のような人への憧れもあったかもしれません。(笑)

 札幌で会ったときには、私が信号待ちをしていたら、「おい、ナオコ! いつから権力に飼い馴らされたんだ! ヨーロッパの街で、車も来ないのに待ってるヤツなどいないぞ!」と大声で怒鳴られたことを覚えています(笑)。おじちゃんらしいなー、と思いました。魅力的な人でした。いつも相手の目をじーっと見つめて話すんです。ポーッとなった女性の気持ちもわかります。実際、彼はとてもモテたそうです。


──通信社の元同僚、同年代や後輩のカメラマン、元恋人......。この本ではたくさんの方が登場します。


 岡村と接点のあった方に、初めてお会いしたときの反応は真っ二つでした。大歓迎の方と、「どうして?」と身構える方と。でも、概して後者の方のお話は面白くて......。当初は取りつく島もないようでも、その後、お手紙のやり取りを重ねるうちに心を開き、深い話をして下さった方もいます。


──岡村さんのさまざまな逸話の真偽や、"空白の時期"の行動について調べるのは大変だったのでは?


 ためらう気持ちもありました。しかし、1929年生まれの岡村を知る方が次々と亡くなられ、真偽の定かでない噂が事実として語り継がれていくなかで、調べ直して、本当の姿を伝えたいと思ったのです。

 岡村のべトナム戦争の写真は世界に認められました。でも、それと戦前の〝上流階級〟出身の彼の出自とは話を別にしたほうがいい。だいたい、学習院から転校させられた理由は、調べてみると、これまで言われてきた「軍事教練のときに菊の御紋章入りの木銃をたたき割ったから」ではありませんでした。のちに釧路で、医師法違反のかどで摘発されますが、それは、市内の繁華街にある薬局の倉庫に自ら「診療所」と看板を掲げて無資格診療したためでした。

 報道写真家になってからお世話になった方や一緒に行動した人について、著書で触れていないこともある。これまで彼の語らなかったことをなるべく明らかにしたいと思いました。


──書き上げての感想を教えて下さい。


 この本を書いて、これまで知らなかった岡村のいろいろな顔を見ることになりましたが、私がそれで失望することはありませんでした。

 85年の急逝の前、生命倫理をめぐる問題に取り組むなど、多岐にわたる仕事を遺した岡村には、鋭い嗅覚と旺盛な行動力がありました。他方、「岡村は一つのことを突き詰める勇気に欠けるの」と言った、彼のよき理解者のことばも心に残ります。

 岡村は、戦争を両側から見なければいけないと言い、実際にベトナム戦争やビアフラ戦争を、両方の側から取材しました。同じように、どんなことでも、さまざまな角度から見るよう心したいと思います。


(『中央公論』2022年10月号より)

中央公論 2022年10月号
電子版
オンライン書店
松本直子
〔まつもとなおこ〕
1952年東京都生まれ。75年早稲田大学第一文学部社会学科卒業。2007年長野県上松技術専門校木材工芸科卒業。著書に『崖っぷちの木地屋──村地忠太郎のしごと』『南木曾の木地屋の物語──ろくろとイタドリ』がある。岡村昭彦の姪(妹の娘)。
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