編集者の役割とは
──川勝さんは「電子媒体だと作家の成長が難しい」とも懸念しておられます。
川勝 マンガ家は、自分の作品が雑誌に載ると、その前後の作品も自然と目にしますよね。そのとき画面の密度や台詞の分量など、その雑誌のコンテクストを理解して、それに合わせて自分の作品を微調整して最適化していくはずなのです。それが毎週/毎月繰り返し印刷されることで鍛えられる面があった。しかし現在のウェブ雑誌では作品単位で掲載されるため、以前のマンガ家のような過程を踏むことがない。私は、それを経験できなかったことにコンプレックスを感じています。
石岡 それはありますね。かつては雑誌ごとに『ジャンプ』『マガジン』っぽいものといった、マンガのカラーがありましたよね。それは20世紀後半、1990年くらいまでに成立したもので、今のウェブのマンガでも、そうした特色は薄れつつも援用されているような気がしています。
ただ、薄れているとはいえ、ゼロになることはなさそうです。現在も、やんちゃな男の子のバトルマンガである『東京卍リベンジャーズ』は『マガジン』っぽいですし、男女のラブコメものの『よふかしのうた』は、古くは上條淳士(あつし)の『TO-Y』を彷彿させる『週刊少年サンデー』(小学館)色があります。このような雑誌ごとのカラーは、これからは別の形で新たな表現のゾーンやジャンルになっていくように思います。
──電子書籍は読者にダイレクトに届けることが可能なので、編集者不要論も出ていますが、マンガの世界ではいかがでしょうか。
川勝 マンガ編集者の地位は全然低下していないと思います。出版社は、新人マンガ家よりも、腕のある編集者を求めているような気がします。マンガ家志望のほうが数が多いくらいでしょう。
石岡 2010年代あたりには、同人誌の世界でも「編集者なしでやっていけるのでは」というインディーズ幻想がありましたよね。「なろう系」小説にもそうした空気があったと思うんですが、メディアミックス作品の人気を見ても、インディーズ系作品の存在感はかなり弱くなっている。やはり作品の受容層を広げるには編集者の存在が不可欠であることが、ここ数年の動きからわかります。ハリウッド映画では昔から「監督よりプロデューサー」という考えがありましたが、それがマンガの世界でも広がっていくのではないかと考えています。
(続きは『中央公論』2022年12月号で)
構成:鴇田義晴
1992年東京都生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科修士課程修了。2011年『幻燈』にてデビュー。著書に『十代劇画作品集』『電話・睡眠・音楽』『アントロポセンの犬泥棒』など。またマンガ評論の執筆など、活動は多岐にわたる。
◆石岡良治〔いしおかよしはる〕
1972年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は表象文化論、ポピュラー文化研究。著書に『視覚文化「超」講義』『「超」批評 視覚文化×マンガ』『現代アニメ「超」講義』など。
◆鴇田義晴〔ときたよしはる〕
1982年千葉県生まれ。「90年代サブカルチャーと倫理—村崎百郎論」で2022すばるクリティーク賞を受賞。受賞後第一作として、見沢知廉論を準備中。