──なぜ今、田中清玄(せいげん)(1906~93)の評伝を書こうと思われたのですか。
田中清玄という国際的フィクサーがいることは昔から知っていました。戦前に武装共産党の委員長となって逮捕され、刑務所で転向して戦後は右翼になったけれど、左翼の全学連を支援した。そして、中東の石油権益をめぐって暗躍し、山口組などの裏社会や、中国の鄧小平、欧州のハプスブルク家、世界的な経済学者のハイエクともつながり、怪物と称されていると......。
最初はそんな日本人が本当にいるのか、と純粋な好奇心を抱きました。ある人は愛国者と呼び、ある人は利権屋と呼ぶなど、毀誉褒貶も激しいですが、この落差にも惹かれましたね。
ここ10年くらい、アメリカやイギリスなどで機密解除された公文書をもとに、現代史をテーマに執筆している中でも、Seigen Tanakaという名前をしばしば目にしました。この男は決してハッタリだけではないと思い、本にまとめることを決めました。
生前の田中の証言には嘘や誇張も多いです。それを、海外の機密解除文書や周囲の証言から検証しました。本人が生きていたら「こんなことまで書きやがって」と言われそうですが、「この本で、あなたの歴史上の正当な位置を確保しましたよ」と言いたいですね。
──錚々たる人物との交友関係にまず驚かされますが、なぜここまで広く親交を結べたのでしょうか。
共産党時代の経験が大きいと思います。共産党員であるだけで逮捕された時代に、仲間を募ることは至難の業です。田中は自ら労働者の中に入り込んで一緒に働き、喧嘩があれば助太刀し、博打もして、兄貴と呼ばれて慕われるようにまでなった。
そのあとに勧誘をすると、「こいつが言うんだったら共産主義も悪くないかも」と、マルクスなんか読んでもいない労働者が協力してくれる。田中は「一に度胸、二に腕っ節、三、四がなくて、五にイデオロギー」と言っていましたが、それは人間の真実だと思いますね。まず心を掴むのが大事だと知っていた。
また、戦前は共産党員で、戦後は右翼になり、果ては東西の国を飛び回り、あらゆる立場の論理を身をもって理解していた。そして最後にたどり着いたのが、「右も左もない」「イデオロギーでは世界は分からない」という境地だったんです。
田中は「混乱期に俺は力を発揮するんだ」とも言っていました。二つの大戦と冷戦があった20世紀という時代が、彼のような人間を生んだと思います。ただ、いま田中みたいな人間がいたら逮捕されるかも。(笑)
──田中の生き方に触れる意義はどこにあると思いますか。
いまはいわゆる保守も革新も内向きで、分断していますよね。みんな自分たちの世界で凝り固まっているから対話が成立しない。一度その枠組みを取っ払うには、田中はもってこいです。無茶苦茶な人物でもありますが、彼の生きざまは、分断された世界に対する解毒剤、貴重な指針にもなりうるのではないかと思います。
田中を偲ぶ会に行くと、右翼も左翼も両方いて、一緒に酒を飲んでいるんですよ。それを見たとき、こうあるべきだよなと、私自身もホッとしました。
──執筆を終えて、特に印象に残っていることはありますか。
敵対する相手をぶちのめす武闘派の田中が、自身の共産主義活動で自殺に追い込んだ母親のアイを思い出した途端、人前で声をあげて泣きじゃくったということですね。明治時代にシングルマザーとして一人息子を育ててくれた母親ですから、特別な情愛があったんでしょう。
この本はいろんな読み方が出来ると思いますが、書き終わる頃に気づきました。ああ、田中の生涯は「母と子の物語」なんだと。執筆中、函館郊外にあるアイのお墓参りもしてきました。あなたの息子さんについて書かせていただきますって。最もこの本を読んでほしいのはアイさんですね。
(『中央公論』2022年12月号より)
1963年佐賀県生まれ。英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに、取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『1945日本占領』『エンペラー・ファイル』、小説に『臨界』などがある。