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藤田直哉 新海誠と『すずめの戸締まり』――「昔はよかった」という思いに蓋をする【著者に聞く】

藤田直哉
新海誠論/作品社

──なぜ新海誠監督を論じようと思ったのでしょうか。


 僕は1983年生まれで、同じ年にファミコンが発売され、アニメの発展と共に育ち、急速な文化変動のなかに生きてきた自覚があります。特に95年が大きな断層でした。「エヴァンゲリオン」や『攻殻機動隊』のヒットでオタク文化が主流化し、さらにWindows95が普及してインターネット元年と呼ばれました。

 新海誠はその新しい文化の旗手の一人です。ゲーム会社出身で、2002年に映画監督としてデビューし、インターネットで作品の予告編を流して宣伝し、ネットを中心に広がりました。

 デビュー作『ほしのこえ』の主題は、携帯のメールという新しいネットワークでのコミュニケーションで、当時は非常に少数の人にしか支持されていなかった。それが「国民的作家」になったことの意味を考えたかったのです。彼の来し方を辿ることによって、日本文化や、コミュニケーションやコミュニティなりの変化を検討してみたい、ということが一つの動機でした。


──影響力の大きい作家ですが、作品に込められた思いをどうお考えですか。


 新海誠を論じる時によく引用されるのが、作品はバンドエイド(絆創膏)だという彼の発言です。つまり、傷ができた時に一時的に貼っておいて、回復させるためのものですね。

 特に若い時には些細なことも重大なように感じて、たとえば死にたくなったり絶望したりするかもしれないけれど、それは大したことない、大丈夫、と励ましたいのだと思います。


──お気に入りの作品は。

 論じていて興味深いなと思った作品は、『星を追う子ども』と『天気の子』です。『星を追う子ども』は、インターネットとゲームを出自とする作家が、民俗学的なテーマに踏み込んで、日本の伝統的なカミや習俗、文化を多く取り入れるようになる転機でした。

『天気の子』については、前作『君の名は。』からさらに踏み込んで社会的なテーマを描く勇気に驚きました。

 まず、主人公がネットカフェ難民です。地方から家出してきて、ブラック労働に搾取されながらホームレスになった少年が、親が亡くなり水商売で働こうとしていた未成年の少女といっしょに生きていく。非常にシビアな社会の貧困の問題を描いています。

 さらに気候変動という大変な社会の問題、若者が今後ぶつかるだろう問題をダイレクトに描いているという点で、これまでとは大きく異なる社会的使命感、態度変更みたいなものが見えて、そこが面白かったですね。


──新作『すずめの戸締まり』で着目すべきポイントはどのあたりですか。


 いろんな地域に生きている人たちの生活を描き、新しい共同性を作ることが、今作の狙いだと思います。

 主人公であるすずめは、九州から愛媛、神戸に行って、そこから東京、福島、最後に宮城県へ向かう。その過程で様々な人たちと出会って、他者の家庭や職場、生活空間に触れていく。それは新海誠が今までに描いたことがない世界です。すずめの旅を通じて、観客が人々に共感していきます。

 そして、かつて繁栄したリゾート地や廃校から悪いものが湧いてくるのを「閉じる」。つまり、過去の栄光や「昔はよかった」という思いに蓋をするわけですね。その上で、災害後の地域や苦境に陥っている地方といった、様々な状況、場所に生きている人たちが互いに共感し連帯する回路を、映画によって作り出そうとしている。

 日本でも世界でも、分断が著しいです。貧富、地方と中央、伝統とニューメディア、科学と宗教、世代間、文化間など、無数の分断が、対立と相互憎悪に転化している。これをつなぎ、気候変動や災害、戦争などの危機の時代を生きるための、新しい共同性を作ろうとしているように見える。

『新海誠論』は新海誠そのものというよりは、彼を通じた現代の新しい日本文化論、あるいはナショナル・アイデンティティ論として読んでいただけたら嬉しいと思っています。


(『中央公論』2023年1月号より)

中央公論 2023年1月号
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藤田直哉
◆藤田直哉〔ふじたなおや〕
1983年北海道生まれ。批評家。日本映画大学准教授。東京工業大学大学院社会理工学研究科修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』『シン・エヴァンゲリオン論』『攻殻機動隊論』、共著に『百田尚樹をぜんぶ読む』などがある。
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