評価されない価値紊乱者として
猪瀬 三島由紀夫が石原と初めて対談したとき、彼を「道徳紊乱者の光栄」に浴していると評した(『文學界』1956年4月号)。それを石原自身が後で「価値紊乱」と言い直したんだけど、まさに「紊乱」なんだ。石原は、自分の小説の読者は「赤貧の若いセンバン工、苦学している学生、あるいは月に二度しか郵便の来ぬような島の若い漁師」だと言っている(『価値紊乱者の光栄』1958年)。我々学生の間では、なんとなく大江健三郎のほうが立派なことを言っているんじゃないかという空気だったけど、石原からすれば「大江たちは3万人の読者で満足しているが、俺は3000万人だ」と。僕はそこが本質的な問題だと思う。
鹿島 そして、国民的大騒動だった60年安保の後に一つの空白期が訪れるわけ。若者にとっては、完全な自由が与えられて無限の可能性が広がっているように見えるけれど、実際に実現できることはほとんど何もないという状況がやってくる。
猪瀬 60年代前半の空虚さだね。言及しておきたいのが、三島は1959年に『鏡子の家』を書いているんですよ。そこではまさに、これから始まる空虚な時代を描こうとしていた。ここで重要なのは、『亀裂』が『鏡子の家』より先に書かれていることなんだ。
その頃の三島は『潮騒』『金閣寺』と超ベストセラーを連発して、文壇の頂点にいたわけです。では次に何を書くべきかとなったときに「時代を描こう」と考えた。主人公と副主人公を中心とした個々の出来事を書くのではなく、多様な主人公を群像として書くことが時代を描くということだ、と。ヨーロッパの壁画の手法を小説でやろうとしたんだね。そのときに『亀裂』を読んで、「俺の考えていることをやっている」と思った。『亀裂』は若い拳闘家や女優、少年テロリスト、右翼といったそれぞれ時代を背負った登場人物を描いていて、感性としては三島より先取りしていたんだ。ただ、石原はそれを無意識に書いたけれど、三島は「俺は構成的に書こう」と考えた。結果として『鏡子の家』は構成的に書かれているがゆえに、主人公たちがいきいきとしていないところはどうしてもある。でも日本の批評家はそもそもの大きな意図を理解できず、失敗作だとされてしまったんだよね。
鹿島 三島がエッセイで面白いエピソードを書いています。1960年にフェデリコ・フェリーニの『甘い生活』が封切られるとき、三島と石原が試写会に一緒に行ったんです。映画が終わった後に三島が「なんだ、俺が『鏡子の家』で書いたことじゃないか」と言ったら、石原も「なんだ、俺が『亀裂』で書いたことじゃないか」と言った、って。(笑)
小説家の特権とは、時代と同調しないことです。重要なのは予感することなんです。作品が時代に完全に同調してしまうと、時代が終わると同時に作品も滅びてしまう。でも一つの予感として表現していると、時代が終わっても作品は残る。石原慎太郎の天才性はそこにある。予感して書けるのが小説家の特権であり才能で、これがないと本当に通俗作家になってしまう。そういう意味で、彼は通俗作家になることはできなかった。「ならなかった」ではなく「なれなかった」んだ。
猪瀬 その通りだね。そういう観点からの石原に対する文学的評価は全然なされていない。評論家の栗原裕一郎と豊﨑(とよざき)由美が石原作品を全部読む企画をやったのが、ほとんど唯一でしょう(『石原慎太郎を読んでみた』)。あれはすごくいい企画だった。
一つ言っておくと、基本的に、日本の作家のモチベーションは太宰治的なものなんですよ。自分が社会に不適応であることを前提に書くのが作家とされていて、大雑把な言い方をすれば多くは太宰のバリエーションに過ぎない。森鷗外や夏目漱石の時代はそうじゃなかったけれど、だんだんとそれが主流になっていった。
鹿島 三島と石原の時代に至って「それじゃダメだ、時代を描かねばならない」となってきたんでしょうね。これはヨーロッパ小説やアメリカ小説の勉強をしたからだと思う。
猪瀬 そうなんだよね。ヨーロッパでは作家は〝メジャー〟なんだ、と。言葉が世界を動かしていることを前提に文学が成り立っているのに、日本ではアウトローな人が自分の辛さを書くのが小説だと思われている。「そうじゃないんだ」と、三島も石原も共通して言っているんですよ。
(続きは『中央公論』2023年3月号で)
構成:斎藤 岬
1946年長野県生まれ。『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞、『日本国の研究』で文藝春秋読者賞を受賞。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授、東京都知事、大阪府・市特別顧問などを歴任。2022年より参議院議員。『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『黒船の世紀』『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク太宰治伝』『昭和23年冬の暗号』など著書多数。
◆鹿島 茂〔かしましげる〕
1949年横浜市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。78年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。専門は19世紀フランス文学。『馬車が買いたい!』(サントリー学芸賞)、『子供より古書が大事と思いたい』(講談社エッセイ賞)、『神田神保町書肆街考』『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』『嫌われ者リーダーの栄光』など著書多数。