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追悼 富岡多惠子  菅 木志雄「ここにいていいよ」と言われて55年。僕にとっては最高の人だった

菅 木志雄(現代美術家)/聞き手:島﨑今日子(ノンフィクションライター)

五穀を断って死んでいく僧のように

 衰えの兆候が一番表に出るのは、やっぱり、食い物ですね。それまでは普通に食って、普通に歩いて、話もしていたのに、食い方が今までとは違うなと思って見ていた時期があって。僕が気づくのが遅かったのかもしれないけれど、生きるための栄養素とか、絶対量が少ないわけです。もちろん、しょっちゅう、「食べな、あかんよ」と言うんだけれど、食べない。

 僕は野菜スープを作ることが多かったんだけど、それは「美味しい、美味しい」って飲んで、他のものは何も食べないの。多少の肉と野菜が入ったスープを時には結構大きな茶碗で二杯飲んで、夜はそれで終わりなの。朝は大体パンと紅茶で、昼は好きなマグロの握りを三つほど、それを毎日買ってきて出すと食べてました。でも、あるときから、米を一切食わなくなった。

 昔、二人でよく旅していたんです。日本海を見ながら新潟の海岸を歩いていたとき、「この辺には、五穀を断って土の中に籠もって死んだ人たちがいるんだよ」という話をしてくれたことがありました。食べなくなった彼女はあの即身仏に自分の身を重ねていたんじゃないかと、そんな気がするの。僕が「もっと食え」といくら言っても、「はい、食べます」とはならなかったと思うんだよ。実際、僕は食ってくれなきゃ困る、なんとか食えるように料理したいといろいろやったんだけども、ダメだった。これは彼女の中で何かが働いているわけ。要するに、死に方の問題だと思うんだけど。

 作家ですから、普通にのうのうと生きて、「はい、原稿書いて死にました」というのは、まずいと思ったんじゃないかな。作家というのは、僕から見たら特殊な人間性を持っていて、その特殊な人間性とは何かとなると、死に方の問題になるんですよ。海岸端で生き仏になって死んでいく人を認める姿勢がすごくあったから、彼女の死には意志的なものがあったような気がするんです。

 食べなくなっていく彼女を見ながら、僕は「こんな状態でいたら、五穀を断った坊主と同じになるのかな」と内心では思うわけでね。そういうことを彼女が身をもってやっているのかは確かめようがなかったけれど、同じものを見て同じ空間を歩んできた人間だから、どこに興味があってどこに興味がないのかというのはわかるんですよ。だから自分の意志で食わなくなっていく姿は、生きているけれどもある意味、死を志向してるんだというのが、わかってくるんですよ。

 黙って見ているのも苦しいですよね。でも、そういう意味では、彼女は自分に忠実でしたよね。そんなことで僕が悩んでいるとかはクソみたいなもんだと思っているから、本当に気にしてなかった。それはね、僕にとってもある意味、救いなんだ。テレテレテレテレして「あんたに苦労かけるわね」とか一切ないからさ。当然のように、(迷惑を)かけるならかけるという状況でした。それは、僕にとっては非常に楽なことですよ。

(続きは『中央公論』2023年9月号で)

中央公論 2023年9月号
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菅 木志雄(現代美術家)/聞き手:島﨑今日子(ノンフィクションライター)
◆菅 木志雄〔すがきしお〕
1944年岩手県生まれ。68年多摩美術大学絵画科卒業。60年代末~70年代に美術運動「もの派」の主要メンバーとして活躍し、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展など、国内外で多数の展覧会に参加、個展を開催している。

◆島﨑今日子〔しまざききょうこ〕
1954年京都府生まれ。著書に『この国で女であるということ』『安井かずみがいた時代』『森瑤子の帽子』『ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒』などがある。

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