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角川歴彦 「追悼 月の人──森村誠一」

角川歴彦

最後の会話

 晩年、森村さんは老人性うつと認知症という二つの病魔に悩まされ、私も、お会いする機会が少なくなってしまった。ただ、作家としての意欲は持ち続けておられた。強い意志で自身の病と向き合い、病魔に打ち勝ってみせ、その闘病の記録『老いる意味』(2021年)はベストセラーとなり、絶筆となった『老いの正体』(2022年)とともに、全国の老人に勇気を与えた。

 最後に森村さんとお会いしたのは、2020年11月。埼玉県所沢市に、アート・博物・本の複合文化施設「角川武蔵野ミュージアム」が完成、オープン早々に「森村誠一展」を開催したときである。約3万冊収蔵する本棚が360度取り囲む「本棚劇場」に、およそ25社の出版社から刊行された単行本、ノベルス、文庫、全集など、森村さんの著書約1700冊を展示した。本棚劇場に運び込んで書棚に並べてみると本当に圧巻だった。壁一面の著作は森村さんの作家人生すべてを表していた。展覧会では、本棚に、映画『人間の証明』などの映像がプロジェクションマッピングで映し出された。

 奥様と来館された森村さんは感無量の表情で、自著の並ぶ本棚をあらためて見上げながら、一言呟いた。「よく働いたなぁ」と。依頼された仕事はよほどのことがない限り断らず、最盛期は、ひと月で400字詰め原稿用紙2000枚書いていたという。短編を入れたら総作品数は3000ほどになる。

 私は心から「頑張りましたね」と声をかけ労った。

 帰り際、森村さんは私の手をぐっと握りながら、「角川会長は生涯の友人です」と言ってくださった。小さな声ではあったが強い言葉だった。ずっと仕事上の「戦友」と言われていたが、いつの間にか「友人」に変わっていた。結局、これが森村さんと直接交わした最後の会話になった。

 森村さんとお会いすることはできないまま、私は昨年から、226日に及ぶ拘置所暮らしを行うことになった。そこは地獄とも呼ぶべき閉鎖空間だった。内省にふける中で『角川源義読本』を読み返し「父の孤独」を知ったことは救いとなったが、もう一つ忘れられないのは、他界される数ヵ月前の森村さんが送ってくださった一枚の写真だった。書棚の前でガッツポーズをしている森村さんが写っていた。私に「頑張れ」とエールを送ってくださったのだろう。負けず嫌いで、心優しい方だった。

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