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田野大輔 ナチスは良いこともした? 俗説を論駁する【著者に聞く】

田野大輔
検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?/岩波ブックレット

──執筆の経緯を教えてください。


 2021年2月、ある予備校講師のツイートが話題になりました。教え子の女子高生がナチスの政策を肯定する小論文を提出したが、「文体が完璧」で添削に困ったという内容でした。それに対して私がナチスの政策に肯定できるものはないとコメントしたところ、膨大な数の批判が寄せられて「炎上」しました。失業対策、アウトバーンの建設、福利厚生の拡充や家族支援策などの例を挙げて、専門家なのにそんなことも知らないのかというのです。

 もちろん知らないはずはなく、それでもやはり肯定できるものではないという評価を示したつもりだったのですが、批判を受けて、研究者の間で常識になっている見方が一般社会に全然浸透していないことに危機感を抱きました。研究者の仕事は基本的に論文を書くことですから、間違った俗説をいちいち検証するわけにはいかない。けれども、研究者がそれらを黙殺してきたことが、歴史修正主義的な風潮を拡大させた面があるのではないか。そこで、私と小野寺拓也さんとで役割分担しながら、代表的な俗説を検証して論駁する内容の本を書くことにしました。


──ナチスの功績とされる諸政策も、その目的や結果を検証すると「良くない」どころか「失敗」ばかりとか。


 共通しているのは、包摂と排除が一体化していたことです。「民族共同体」に包摂されるドイツ人にとっては「良い」政策も、ユダヤ人や障害者、同性愛者といったマイノリティの排除と連動していた。加えて、ナチスは当初から相当無理をして軍備拡張を進めています。1938年には国家支出の61%を軍備に振り分けていました。それは戦争を前提とした「破壊の経済」でした。


──7月5日の発売以来、売れ行き好調とか。読者の反響はいかがですか。


 発売後2ヵ月で6刷となるなど、よく売れているようです。ツイッター上でも、「目からウロコが落ちた」「ナチスはやはり良いことをしていなかったとわかった」といった肯定的な反応が大半を占めています。

 SNS上には歴史修正主義的な言説が蔓延(はびこ)っていますが、「ガス室はなかった」と主張するような筋金入りの歴史修正主義者は、本書を読んでも考えを変えることはないでしょう。けれども、しっかりとした知識を持つ人々が増えていけば、それが「社会全体のワクチン」になって、歴史修正主義的な風潮に対する歯止めになるのです。

 読者の反応についてあらためて印象的だったのは、ナチスが戦争やホロコーストといった「悪」を行った事実は認めながらも、「中国だって残虐行為をしたではないか」「現代の価値観で過去を裁くな」と反論しようとする人が少なくなかったことです。「是々非々」で「中立的」に見ようとしているつもりかもしれませんが、ナチスの戦争犯罪を相対化し、それに対する批判を封じてしまう危険性があります。


──本書はSNS上のやりとりがひとつのきっかけでした。誰もが発信者になれる時代に注意すべきことは。


 私自身も専門外の話題に言及するときは、反射的な発言をしないよう心がけています。即座に反論したくなるときこそ、いったん思いとどまる。最低限、ウィキペディアでもよいので、その話題について調べてみる。

 それでも間違った発言をしてしまうことは避けられません。間違いを指摘されたときは面子(メンツ)を潰されたと思わずに、真実に一歩近づいたと受け止めて、ありがとうと感謝を示すくらいの姿勢でいるのがいいのではと思います。

 最近の日課ですが、「ナチスが源泉徴収制度を発明した」という俗説を見かけるたびに、「それは間違いです」「ワイマール時代初期から導入されていました」と指摘しています。専門家が誤りを指摘すると、どうしても「上から目線」で権威主義的だと受け止められてしまいがちですが、たかだか源泉徴収ぐらいのことですから、それほど感情的な反発も生じないのでしょう。こういう小さなことを積み重ねていって、社会全体の知的基盤を強化することが専門家の役割だと考えています。

(『中央公論』2023年11月号より)

中央公論 2023年11月号
電子版
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田野大輔
〔たのだいすけ〕
1970年東京都生まれ。甲南大学教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専門は歴史社会学、ドイツ現代史。著書に『魅惑する帝国』『愛と欲望のナチズム』『ファシズムの教室』などがある。
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