――本書は、ピアノの弾き方や自転車の乗り方など、言語化されない「知」に関して考察した有名な『暗黙知の次元』の著者マイケル・ポランニー(1891~1976年)の評伝です。一般的には、経済学書『大転換』を著したカール・ポランニーの弟、あるいは哲学者のイメージが強そうですが、科学者としても活躍したのですね。
生涯でおよそ200編の質が高い科学論文を書いています。ポランニーの次男ジョンはノーベル化学賞を受賞していますが、それは父親の代理と言われることがあるほどです。
1880年からの約20年間に生まれた世界的に有名な科学者にハンガリー出身が多いという「ハンガリー現象」への興味が、この本を書くきっかけでした。該当する科学者の例を挙げると、アメリカの原爆開発にかかわったレオ・シラードやユージン・ウィグナー、また流体に生じるカルマン渦を解明したセオドア・フォン・カルマン、現在主流のコンピュータの原理を据えたジョン・フォン・ノイマンです。彼らは生まれがハンガリーで、多くはハンガリーの大学へ行っている。さまざまな習慣や言語をどこで身に付けたか、いわゆるソーシャライゼーションの過程は、基本的に共通しています。
私が86年に研究でハンガリーを訪れたときに、ハンガリー現象の研究者に会い、天才科学者たちを取りまとめていた中心的人物の一人がポランニーだったことを聞いて、面白そうだなと思いました。しかも、日本には北海道大学の元学長・堀内寿郎(じゅろう)など、科学者としてのポランニーの弟子や共同研究者が何人もいたんです。
――なぜこれまで、科学者としての側面に焦点が当たってこなかったのでしょうか。
科学史家が見ていなかったからではないでしょうか。科学史の中心はアメリカなのです。今のアメリカ人はドイツ語を読めない人が多いですが、昔のアメリカ人は学術のためにドイツ語が読めました。我々の先生の先生ぐらいの世代の有力な学者はドイツからの移民ですから。
――本の結びで、今ポランニーを論じる意味に、「自由主義的な保守主義」を挙げておられます。具体的にどういうことでしょうか。
科学は最初から何かを発見することは難しく、まず師匠に弟子入りするわけです。つまり、その学問の伝統に所属しなくてはいけない。弟子入りして、教科書の必要なところを読まなくてはいけない。
次に研究室に入ると、流儀というものがあるわけです。その地の規範の上に初めて自分の研究の自由がある。
ところが、今の日本の科学技術政策は、伝統をあまり重視しているように見えず、現場にお金さえ投入すればいいという方針なので、優遇する分野を絞ったり、基本的な伝統を伝えなくてはいけない場所である大学の教育費が少なくなっていたりする。科学はそういうものではなくて、ほかの伝統と同じで、過去の蓄積があって、大学という制度的蓄積があって、先生という規範があって、その上に自由がある。だから、行政が勝手に手を突っ込むべきではないと考えています。
――読者へメッセージがありましたらお願いします。
ハンガリーという国に関心を持ってもらえると嬉しいです。ハンガリーは日本から直行便も飛んでいないし、結構地味なのです。けれども、中央ヨーロッパのメジャーなアクターであったことは伝えたいと思います。少し無理をすればタクシーで行けるほどウィーンに近い。ツアーでよくあるのはウィーンから始まって、ブダペストまでバスで行って、鉄道でチェコに行って、チェスケー・ブジェヨヴィツェという都市でウルケルというビールを飲んで、ウィーンから帰ってくるというすごく忙しい行程です。それはいいのですが、要するに、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国領を回っているわけです。まずは、もともと一つの国だったということを覚えてほしいなと思います。
(『中央公論』2024年1月号より)