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『世界』『正論』『中央公論』編集長が語る日本の言論空間

堀 由貴子(『世界』編集長)×田北真樹子(『正論』編集長)×五十嵐 文(『中央公論』編集長 )

「論壇」はもはや存在しない

五十嵐 私たちが携わる総合雑誌は論壇誌と呼ばれ、論壇の主流だった時期もありますが、衰退傾向は否めません。編集長になる前と後で、論壇誌や論壇に対するイメージは変わりましたか。


田北 編集長として原稿を依頼する立場になってからも、最初は記者の視点のままで新しい情報を求めがちでした。今はそれに加えて、「自分では考えつかない他の人の視点」を楽しめるようになりました。『世界』もたまに読んでいます。立ち位置は全く違うし、賛同できるかできないかは別にして、ですが。(笑)

 雑誌が休刊するかどうかは、市場の原理に任せるしかないという立場です。抗いたいですが。どんな雑誌も支持されなくなれば、なくなります。支持されつづけるためには、読者が「読んでよかった」と思える記事が10のうち一つでもあればいいと思っています。いや、もっとかな。


 そもそも「論壇」とは果たして何だろうと思っています。学生時代には書店でアルバイトをして、一編集部員として『世界』にも携わっていましたが、その頃から今に至るまで、もはや論壇が存在しているとは考えていません。

 編集長になる前は、自分の担当する記事という「点」をいかに面白くするかを考えるのに精いっぱいで、他の雑誌を含む論壇的な場を「面」でとらえることはありませんでした。今は、もし論壇誌に役割があるとするなら、田北さんが言われたように、異なる考え方に耳を傾け、さまざまな言論が共存する媒体という点ではないかと思うようになりました。


五十嵐 論壇誌は、知的エリートの中高年男性が大所高所から天下国家を論じる場というイメージでとらえていました。ところが、異動が決まって『中央公論』を真面目に読んだら(笑)、内容が濃くてすごく面白い。新聞の紙幅では紹介しきれない微妙なニュアンスも反映できる。このような媒体が廃れていくのはもったいないと心から思いました。

 編集長になってからのもう一つの変化は、数字が気になるようになったこと。記者時代はいい記事書いてナンボの世界でしたが、雑誌はどんなに内容が評価されても部数に結びつかなければがっかりするし、それで実際に休刊に追い込まれた雑誌があるわけです。「シビアな世界だ」と痛感しました。


田北 数字の話になると頭のなかが麻痺します(笑)。私も買ってもらうことの難しさを痛感しています。

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