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『オッペンハイマー』が映すアメリカ、そして日本...国際政治学者が読み解く

村田晃嗣(同志社大学教授)

核の緊張の高まり

 なぜ今、オッペンハイマーなのか。

 まず、核戦争への危惧が再び高まっている。1945年8月にアメリカが広島と長崎に原子爆弾を投下して以来、核兵器は使用されてはいない。だが、ロシアはウクライナ侵攻に際して、核兵器使用の可能性を示唆し、アメリカをはじめとする西側諸国の直接介入を牽制してきた。すでに、2019年8月には、米ロ間の中距離核戦力(INF)全廃条約が失効した。さらに、2023年2月に、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)の履行停止を表明した。二つの核超大国は、無条約時代に突入しているのである。

 そこに、中国の核軍拡が加わる。中国が保有する運用可能な核弾頭数は、2020年段階で200発前半と目されていたが、これが30年には1000発に達するという。こうなると、米ロの水準に肩を並べる勢いであり、米中ロの三国で核抑止戦略を安定させなければならない。それは米ロ二国間の3倍は複雑な作業である。北朝鮮やイランの動向など、核拡散にも注意を払わなければならない。

 また、ウクライナがかつては核保有国であったことも、想起されよう。旧ソ連が崩壊した際に、ロシアのみならずウクライナやベラルーシ、カザフスタンも核兵器を継承した。だが、1994年末にウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの三国は核拡散防止条約(NPT)に加盟して、核放棄した。これを受けて、アメリカ、イギリス、ロシアの核保有三国が、核放棄した三国の安全を保障すると約束した。ブダペスト覚書である。つまり、核兵器を自発的に放棄した国がその安全を保障した核保有国によって攻撃されている──これがロシアによるウクライナ侵攻なのである。このような侵略行為を阻止できなければ、NPT体制は崩壊しようし、戦後日本外交が訴え続けてきた「核兵器のない世界」も決して実現すまい。

 こうした状況の中で、「原爆の父」に注目が集まるのは当然であろう。オッペンハイマーは原爆開発に深く関与しながらも、その後の水素爆弾の開発には反対し続けたのである。

 そのため、オッペンハイマーはかつての同僚で「水爆の父」となるエドワード・テラーと対立する。テラー博士は後年、ロナルド・レーガン大統領の下で戦略防衛構想(SDI)を推進する。原爆、水爆と相次いで「最終兵器」を開発しながらも、テラーはその核兵器を「無力で時代遅れなものにする」最終構想に精力を傾けた。

 事態を複雑にしたのは、オッペンハイマーの周辺に、かつてのアメリカ共産党員がいたことである。実弟とその妻、大学時代の恋人などである。オッペンハイマー自身も、学生時代に共産党系の集会に参加したことがある。戦間期には、アメリカ社会ですら、若者や知識人の間で、共産主義やソ連は怪しい魅力を発揮していた。往年の映画ファンなら、シドニー・ポラック監督『追憶』(1973年)で、ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンド演じる男女が政治に翻弄される様子を、切ない音楽とともに思い出すであろう。

 しかも、ソ連はアメリカの予想よりはるかに早く、1949年に原爆開発に成功した。中国の共産化もあって、アメリカではジョセフ・マッカーシー上院議員を中心に「赤狩り」の嵐が吹き荒れる。やがて、オッペンハイマーも連邦捜査局(FBI)に監視されるようになり、1954年には原子力委員会(AEC)から機密漏洩疑惑で休職処分を受けた。

 AEC委員長のルイス・ストロースが、オッペンハイマー失脚の仕掛け人であった。映画では、ロバート・ダウニー・Jr.が彼を憎々しく好演している。ストロースは実業界出身で、原子力の廉価性を強調し、放射能被害を軽視していた。しかし、因果は応報で、彼はドワイト・アイゼンハワー大統領によって商務長官に指名されるものの、上院で承認されなかった。反対に回ったリベラル派の上院議員の一人が、ケネディである。ただし、彼もかつてはマッカーシーの「赤狩り」に協力したのだが。


(続きは『中央公論』2024年4月号で)

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村田晃嗣(同志社大学教授)
〔むらたこうじ〕
1964年兵庫県生まれ。神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(政治学)。専門は国際政治、アメリカ外交。広島大学助教授、同志社大学助教授を経て現職。2013~16年に同大学学長、19~20年に防衛省参与を務めた。『アメリカ外交』『レーガン』『トランプvsバイデン』『映画はいつも「眺めのいい部屋」』など著書多数。
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