――執筆のきっかけは何でしたか。
2020年からのコロナ禍です。遠出もできず、誰にも会えなくなってしまい、自宅から徒歩と自転車で移動できる場所を徹底的に散歩してみようと思ったんです。そこで東京のある川べりを夕方に歩いていて、橋の下をのぞいたら、横にいたおじいさんが「そこにカワセミいるよ」と。
川はコンクリート三面張りで、自転車が不法投棄され、目に見える生き物はミシシッピアカミミガメやコイといった、無味乾燥さです。そこに、「清流の宝石」と呼ばれるカワセミがいて、驚きましたし、とてもきれいでした。
Twitter(現X)で検索したら、いろいろな人が写真を撮っており、目撃情報が意外と出てきました。それで別の川に行ってみたら、カワセミのカップルに出会ったんです。その3週間後には巣穴にしている水抜き穴から雛2羽が出てきて親に餌をもらっているのを発見。さらに2週間後には巣立っていなくなった。どうやら都心の川で繁殖しているんだということが見えてきました。
そんな2年半のカワセミ観察を通してわかったことをまとめたのがこの本です。私がもともと追いかけてきた「都市の生態学」と「東京の都市論」を期せずして深掘りできました。
――素早い動きで飛ぶ鳥でもありますが、個体識別はできるのでしょうか。
スズメやヒヨドリ、ムクドリのような集団で暮らす鳥は群れの動きは見られるけれど、一個体がどう暮らしているのかを観察するには向いていない。
カワセミは、単体でもカップルでも明確に縄張りを作るのでわかります。今回私が観察した三つの河川での縄張りの範囲は、ぴったり一致して1・2㎞なんです。また、都市の中小河川なので川幅が5~15mと狭いこと、本来は警戒心の強いカワセミが、東京に生息するものだと人馴れしていることも観察しやすかった大きな要素ですね。
――人口が密集する東京になぜ、「清流の宝石」が暮らしているのでしょう。
現在の東京23区を流れる都市河川は、1950年代から80年代終わりまでとても汚く、淡水魚はほぼ死滅し、カワセミも姿を消しました。高度成長期の公害と下水道の未整備が原因です。今では清流を好むハグロトンボが繁殖したり、アユが遡上したりする程度にきれいになり、餌となる外来種のエビなどが増え、カワセミも戻ってきました。コンクリート壁の水抜き穴で繁殖するなど、都市に適応したわけです。
ただし、河川の浄化だけではカワセミが都心に戻ってくることはありませんでした。
ではなぜ戻ってきたのか。23区内に湧水が作った小流域源流の緑地と池がたくさんあったからです。そこには在来の魚やエビが生息し、周囲は緑に囲まれている。いずれも旧石器時代から人が守ってきた環境です。80年代、皇居、赤坂御用地、白金自然教育園、小石川植物園など、都心の小流域源流の湧水池にまず戻ってきて、その後、都市化された河川にも適応したんですね。
歴史の古い小流域源流の湧水池と浄化された都市河川。どちらか片方しかなかったら、都内に大量のカワセミが戻ってきて繁殖することはなかったはずです。
――いま取り組まれている研究内容は。
メディア論などのほか、『国道16号線』執筆以来、「交通とまちづくり」の研究に取り組んでいます。人口減少と高齢化により、まちの縮小や消滅が問題になっています。
地方では、自動車が交通手段の中心であるにもかかわらず、いまだに鉄道駅メインでまちを復興しようという現実的ではないコンパクトシティ計画が目立ちます。東京では、古い下町を潰して地震・火災対策を施した高層ビル中心の大型開発が進んでいる。防災は重要ですが、1階の賑わいがなくなり、まちの魅力が失われる恐れもあります。
個別に観光化や移住対策に成功しているまちや村もあります。全国でのリサーチはすでに始めました。具体的なケースを基に21世紀型のまちづくりをまとめたいと思っています。
(『中央公論』2024年5月号より)
1964年静岡県生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現日経BP社)を経て、現職。専門はメディア論。単著に『国道16号線』(手島精一記念研究賞)、『親父の納棺』、共著に『「奇跡の自然」の守りかた』など。