評者:トミヤマユキコ(マンガ研究者)
作者のオカヤは、第26回手塚治虫文化賞(短編賞)を受賞しており、本作が受賞後第一作に当たる。現代社会を生きる人々の営みをすくい取る手つきは、前作にも増して繊細&丁寧。まさに筆が乗りまくっている。
主人公の花山雨(はなやまあめ)は、30歳の会社員。東京郊外にある、古くて小さな平屋に住む彼女は、凝り始めると同じ料理ばかり作る。そんな彼女の周囲にいる知人友人や家族は、みな料理より何より恋に夢中。いや、恋に振り回されていると言った方がいいかもしれない。彼らの人生において、恋はかなりのウェイトを占めている。しかし、雨はそうじゃない。作中では「恋をしない」としか説明されないが、雨はいわゆる「アロマンティック」だと思われる。これは他人に恋愛感情を抱かない人や指向のことだ。
LGBTQ+に関する啓発が(徐々にではあるが)進み、恋にもいろいろな形があると知られるようになってきたが、そもそも恋をしない人もいることは、あまり議論の俎上に載せられない。そのため物語に登場することもまだ少ない。その意味で本作は、アロマンティックを描いた先駆的な作品と言っていい。しかもそれが、性的マイノリティの特殊性を強調しながら描かれるのではなく、社会にはつねにすでにそういう人がいるのです、という大変落ち着いた態度で描かれている。
第2話には、会社の上司と不倫をする派遣社員の女性・剣菱京(けんびしみやこ)が登場する。恋人の横顔を見た彼女は、彼の目元が乾燥していることに気づく。「近くで見たことのあるものは遠くからでも細部がわかる」「抱き合うときに見えるのは大抵相手の肌の表面だ」......剣菱にとって恋とは、好きな人の肌の表面を見て、その些細な変化に気づくことである。胸がドキドキ、世界がキラキラ、じゃなく、恋人の肌荒れに気づけることが恋。オカヤが描く大人の恋は、リアルで洒脱だ。
しかし剣菱の恋は長く続かない。上司と不倫していることが思いのほか広く知れ渡っていて、派遣会社から契約終了を言い渡されてしまうのだ。その直後、社内で上司と目が合った剣菱は、自分の気持ちが一気に冷めるのを感じる。そして泣き場所を求め彷徨(さまよ)うが、いい場所が見つからない。道ばたに座りこんで泣く彼女の前に同じ職場で働く雨がふらりと現れ、「お昼食べました?」と聞く。そしてふたりはじゅうじゅうとジンギスカンを焼きながら、恋の話をする。
人様の恋には疎い雨だが、上司が「女を女の子扱いするのが礼儀だと思って」いるのは知っている。雨にとってそれは要らぬ礼儀だが、剣菱にとっては、それこそが恋の始まり。恋をしない雨と恋をする人物のコントラストによって、恋というもののありようが、少しずつ炙り出されていく。
この他にも、雨の知人友人、家族など、さまざまな人物によるさまざまな恋模様が描かれていくのだが、雨のおかげで恋から少し距離を置きつつ、恋について考えられるところに、不思議な心地良さを感じた。
(『中央公論』2024年5月号より)