――ご自身初の単著です。なぜこの本を書こうと思ったのでしょうか。
大学で非常勤講師として初めて持った授業で、環境人類学という科目を教えることになったんです。必ずしも自分の専門ではないので、色々と調べて講義をしました。それが編集者の目に留まって、本を書かないかということになったのが、きっかけです。
環境人類学は1950年頃にアメリカで生まれました。人間の文化がどのようにして形成されるのか、その要因を当時の人類学者たちが求めていったのですが、その中の一つに環境決定論があります。日本だと和辻哲郎の『風土』が近いでしょう。土地がそこに住んでいる人間の思考に影響を及ぼし、それが哲学や思想、宗教にまで至る。つまり、人間は空間的なものに埋め込まれた存在だという考え方です。
とはいえ、私自身が環境人類学を後付けで勉強したということもあり、専門にこだわるというよりは、かなり自由に書いたと思います。
――調査地であるメラネシアはどんな地域ですか。
私の調査地の一つであるメラネシアのソロモン諸島は、経済的に貧しい地域です。2017年9月に行った時は、政府の予算を全部使い果たしたと聞いて、まだ3ヵ月以上あるのにどうするんだと思ったのですが、これは頻繁に起きることなんですよね。
政府や公的な支援がそもそも当てにならない土地であることは住人たちもよくわかっていて、生活のバックアップをいつも考えています。
首都のホニアラで日系のホテルに勤めている友人が、コロナ禍の最中に給料をカットされて、苦しい状況になったことがあります。大家族だし、親戚も援助しなければならない。そんな彼は首都近郊にセカンドハウスを持っていて、ちょっとした畑を作ったり、何かあったら生活の拠点を移せるように準備したりしています。故郷が他にも複数あって。ご先祖がいた土地を故郷と呼ぶとすれば、3、4ヵ所ぐらいとの関係を維持し、リスクヘッジしています。
私たちは資格を取ったり、NISAを始めたり、異業種交流パーティーで人脈を築いたり、未来に向けて投資することが大事な世界に暮らしていますが、ソロモン諸島の人たちは過去についてよく知っていることで、人生のチャンスが開けていくのです。
――本書ではマツタケ狩りにも言及しています。狩猟採集に関する本の刊行も相次いでいますが、こうした近代以前からある生業をどう見ていますか。
狩猟が前近代的かというと、多分そうは言えないと思うんです。昔、九州の山奥の村、宮崎県諸塚村(もろつかそん)で蜂の子を採るのを見たことがあるんですよ。スズメバチの幼虫です。庭先に置いた砂糖水にスズメバチがやってくると虫取り網でぱっと捕まえて、脚にスーパーのレジ袋を細く切ったものを結び付けるんです。スズメバチなので結構遠くまで飛んでいくんですけれど、諸塚村は林業が盛んなので村中に林道が走っています。網の目のようにめぐらされた道を双眼鏡片手に軽トラを走らせて、蜂の巣を見つけるという手法です。
蜂の子は今では一般的に食べないし、山奥の伝統的な文化かと思われがちです。けれど少なくとも私の見た蜂の子採りはかなり近代的です。双眼鏡や軽トラ、林道など近代的なインフラに乗っかっている。
伝統的なものはかつての姿のままあるわけではなくて、常にアップデートされて最新のものになっている。逆説的ですが、伝統が伝統であるためには、常に最新でなければならないのです。
猟師もGPSを使ったり、YouTubeに動画を上げたりと、過去の存在ではありません。今そうしたことが流行っているのは、ソロモン諸島であればはっきり見えるような、自分がどこから来たか、何に生かされているかが見えづらくなっているからではないでしょうか。そうした中で、もう一度大地に根源的なものを見つけようという動きが生まれて、それが商業的な価値を持つのはわかる気がします。
(『中央公論』2024年9月号より)
1986年鹿児島県生まれ。大阪公立大学准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は文化人類学、メラネシア地域研究。論文に「起源の闇と不穏な未来のあいだ──現代ソロモン諸島マライタ島西ファタレカにおける社会変容の深層」(日本文化人類学会奨励賞)など。