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『佐々田は友達』スタニング沢村著 評者:三木那由他【このマンガもすごい!】

三木那由他
佐々田は友達/文藝春秋

評者:三木那由他(大阪大学大学院人文学研究科講師)

 高校生の佐々田絵美(ささだえみ)は、カナヘビやカマキリが好きで、物静かで、動作がゆっくりで、帰宅後にちょっとしたおやつをつくるのを楽しみにしている。そんな佐々田が主人公の本作『佐々田は友達』は、ひっそりとした静かな、その意味では「地味」な漫画である。だがその「地味さ」こそ、本作の最大の魅力である。

 本作は、佐々田のちょっとした冒険から始まる。ある日の学校帰り、佐々田は可愛らしいカナヘビを見かける。これまで捕まえられたことのないカナヘビをいちどくらい捕まえてみたいと、佐々田はカナヘビを追いかけ、そのまま林へ入り込んでいく。カナヘビは見失ってしまったが、ふと好奇心から林をそのまま抜けていくと、そこには見慣れたホームセンターがあり、クラスメイトの高橋優希(たかはしゆうき)がタピオカをすすっていたのだった。

 この出来事がきっかけで、佐々田はクラスでもとりわけにぎやかな高橋になぜか気に入られることになる。『佐々田は友達』というタイトルからも想像されるように、本作では物事の感じ方も普段の生活もコミュニケーションスタイルもまるで似ていないこのふたりが、ゆっくりと友情を育んでいく。

 派手な出来事は起こらない。作中で事件と言えば、急な服装検査、同級生の恋愛、課外学習くらいだ。それでも、本作を読んでいると佐々田から目が離せなくなる。

 佐々田は地味で、自己肯定感も低く、普段はあまり大きく感情を表さない。そうしたひとは、周囲から「楽しくなさそう」と思われがちだろう。しかし、佐々田はたくさんの楽しみを知っている。カマキリを手に持って「この弱いセロテープでぺたぺたされてるみたいなのがたまらん」と顔をくしゃっとさせたりもするし、海や山にひとりでいるときだって、嬉しそうに目を輝かせる。そのようにひとりを楽しめる人物であるからこそ、喜怒哀楽がはっきりしている高橋と話しているときの、ちょっとした戸惑いも魅力的に映る。

 本作は、「地味なトランスジェンダーの少年の物語」でもある。佐々田は性別移行をしているわけでなく、将来的にどうするかもわからないが、友達の高橋からであっても「女」に分類されるのは辛くて、本当は男の子として生きたくて、将来の夢は「カラシ色の似合うおじいさん」だ。

 性的マイノリティの物語でありがちな騒動は特にない。そもそも性自認がテーマになっているエピソードも多くない。けれど、現実のトランスジェンダーだって、いつも派手な事件に出くわしたり、いつも苦しみのあまり死にそうになったりしているわけではない。ぼんやりと息苦しく、ほかのひとのようには将来のことをうまく考えられず、自分の価値を肯定できないという薄暗い靄が常にかかってはいても、それでもカナヘビを愛でるようなささやかな喜びは感じながら、一見すると地味な日常を生きていたりする。その「地味さ」が漫画で描かれることは少ない。それゆえに本作の描く「地味さ」は、新鮮で革命的な「地味さ」なのだ。


(『中央公論』2025年2月号より)

中央公論 2025年2月号
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三木那由他
大阪大学大学院人文学研究科講師
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