――本書の第一部は堀川さんの夫で、元NHKプロデューサーである林新(はやしあらた)さんの闘病記で、難病による腎機能の低下を補う透析治療の現実が描かれています。第二部は林さんの死後、堀川さんが日本の透析医療が抱える問題を取材した内容です。刊行後の反響は。
発売前から予約が入り、刊行してすぐに重版がかかりました。ここまで早くから大きな反響があったのは初めてです。「透析」「終末期」などのキーワードで日々検索をしている方が多くいる証なのだと思います。読者からの感想も多数届いています。患者やその家族だけでなく、医療界の方からも届き、関連学会から講演依頼も寄せられています。医療現場での関心の高さを改めて感じました。この本を書けば困っている方々が声を上げてくれると信じていましたが、本当にそのとおりでした。
――いつ本に残そうと決めましたか。
大前提としてノンフィクション作家は自分のことを書くべきではないとずっと思ってきました。世の中には光を当てなくてはいけない不条理がたくさんあるので、自分のことを書いている場合ではない、と。しかし、それでも書かなくてはいけないと思ったのは、林が透析を回せない体になりつつあった時に、透析を止めるという選択肢がないことが分かった時です。そして、緩和ケア病棟に入りたいと願いでたら、医師から「緩和ケアはがんのみが対象だから入れない」と言われた瞬間に明確に書く覚悟を決めたと思います。透析の続け方に関する情報は膨大にあるのに、透析の終わらせ方については全く情報がないという事実を突きつけられました。こんなおかしいことが罷(まか)り通っていることへの怒りもありました。また私自身、頭では透析を分かっていたつもりが、林のそばでその過酷さを身をもって知り、その現実と社会から透析医療へ向けられるまなざしとのギャップにショックを受けたんです。治療の現実を伝えることで、そのまなざしを変えたいという思いもありました。
――透析治療患者の終末期が問題にされてこなかったのはなぜでしょうか。
透析を回せば生きながらえられる。同時に、経営的には回せば回すほど儲かる。透析中止の議論が封じられてきた背景は様々ですが、闇は深いです。「生きるために回す」医療が、ある時、「回すために生かされる」医療になる逆転現象が起きます。本来はそこで患者がもう一度選択できるべきです。選択肢は①血液透析、そして本書でも取り上げた、治療効果はゆるやかでも体への負担が少ない②腹膜透析、③保存的療法(非透析)の三つですが、海外では「決断の延期」という第4の選択肢もでてきています。日本は緩和ケアが適応されないので透析を止める選択肢を患者から奪っているのが現状です。
――改善の兆しはあるのでしょうか。
実はがん医療では、この30年ほどで緩和ケアの導入が劇的に進みました。先日、緩和医療学会の理事長を取材しましたが、30年前のがん患者と今の腎不全患者は全く同じ状況だとおっしゃっていました。2016年には厚労省の緩和ケア推進検討会が、がん以外の疾病にも緩和ケアの対象を広げようという議論を行っていますが、その後、進展はありません。日本人の死因は4分の1ががんですが、大雑把に言えば、4分の3は緩和ケアを受けられない。がんの緩和ケアでノウハウは蓄積されています。それを他の病気にも広げていく。決断すれば、できるはずです。
さらに、日本の医療は診療科ごとのセクショナリズムが強く、科をまたいで患者をトータルで診ることが難しい状態にあります。例えば、腎臓科医が緩和ケア医にコンサルをお願いしても、診療点数がつかないからと断られる。少なくとも緩和医に相談すれば診療点数が加点され、病院の経営に資するよう仕組みを整えるべきです。
日本の透析患者は現在約35万人ですが、今後さらに高齢化が進むと、透析のメリット、デメリットが変わってきます。透析患者に限らず、終末期医療は、死にゆくすべての人の尊厳に関わることです。今を生きる私たちが向き合うべき問題だと思います。
(『中央公論』2025年3月号より)
1969年広島県生まれ。ノンフィクション作家。広島大学特別招聘教授。著書に『死刑の基準』(講談社ノンフィクション賞)、『裁かれた命』(新潮ドキュメント賞)、『原爆供養塔』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『暁の宇品』(大佛次郎賞)、林新氏との共著に『狼の義』(司馬遼太郎賞)など。