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『「憲政常道」の近代日本──戦前の民主化を問う』村井良太著 評者:十河和貴【新刊この一冊】

村井良太/評者:十河和貴(立命館アジア・日本研究機構専門研究員)
「憲政常道」の近代日本──戦前の民主化を問う/NHKブックス

評者:十河和貴(立命館アジア・日本研究機構専門研究員)

 今年は戦後80年の節目を迎える。戦前といえば、天皇制のもと国民の自由は強く制限され、軍部が強い発言力をもち、やがて戦争へと突き進んだという暗いイメージが少なからずもたれる。

 そのため、「戦前の民主化」など最初から限界があったと思われるかもしれない。しかし本書は、著者のこれまでの成果を軸に、近年新たに翻刻された『田(でん)健治郎日記』『財部彪(たからべたけし)日記』『昭和天皇拝謁記』などの史料をふんだんに活用することで、戦前に育まれた民主化の価値をとらえ直そうとする。

「大正デモクラシー」は、立憲政友会・立憲民政党の二大政党が連続して政権を担当する「憲政常道」の時代を導いた。1924年以降の8年間は政党内閣以外の選択肢が失われ、「憲政常道」は強い規範意識として帝国日本に根づく。

 当時の日本では、元老という権威ある個人によって首相が選ばれた。そのため、「憲政常道」は「最後の元老」西園寺公望(きんもち)の選択にもとづく、不安定な体制という見方がなされてきた。この古典的理解を本書は修正する。むしろ西園寺は、憲政会(民政党の前身)総裁加藤高明の外交政策への危機感から、政党内閣制の成立を遅らせた。24年総選挙で憲政会が第一党となる以前は、超然内閣として第二次護憲運動の標的とされた首相・清浦奎吾のほうが、西園寺よりもはるかに政党内閣制の実現を意識していた点は興味深い。第一次大戦後に国内で高まった民主化思潮が、第二次護憲運動を経て元老の思惑を抑え込むことに成功し、政党内閣制実現に導いたとの見取り図が示される。

 そして、「憲政常道」は次なる課題をもたらす。政党が政権を担うという形式にとどまらず、貴族院や枢密院、軍部を抑制し、実態における「政党中心政治」の実現がめざされた。高橋是清(政友会総裁)や、犬養毅率いる革新倶楽部の政党内閣構想が、保守的な二大政党(当時の言葉では既成政党)を大衆政党へと脱皮させる役割を果たしたという視点(第三章)はおもしろい。

 こうして形作られた二大政党のもと、田中義一内閣は国民政党としての強さを発揮し、その後犬養毅内閣に至るまで、政党中心政治が追求され続けた。市川房枝らの求めた婦人参政権も、実現一歩手前まで前進していく。

 この政党内閣制は、脆弱な体制ゆえに崩壊したのではない。「憲政常道」のもと二大政党が強力だったがため、テロやファシズムなどの「弱者の反動」が誘発されたとの理解が示される。

 このように、「憲政常道」は政党政治の明確な道しるべだったからこそ、五・一五事件による中断の意味は大きい。しかも挙国一致内閣という事件後の選択時に、政党政治復帰への条件は明示されなかった。これが日本の進むべき方向を見失わせ、「弱者の反動」により政党内閣制は崩壊する。

 本書の最後では、国際協調を後ろだてに近代日本で自発的に芽生えた民主政治の可能性が問われる。戦争回避に尽力したと主張する昭和天皇の発言への、「政党政治という制度を使わずに個人の能力で対処できる問題だったのだろうか」(382頁)という疑義には説得力がある。そもそも「憲政常道」は、個人の政治的判断が政治を左右する状態を回避するためにこそ求められた。政党政治という制度の価値とは何か。今まさに問い直すべき問題だろう。


(『中央公論』2025年4月号より)

中央公論 2025年4月号
電子版
オンライン書店
村井良太/評者:十河和貴(立命館アジア・日本研究機構専門研究員)
【著者】
◆村井良太〔むらいりょうた〕
駒澤大学教授。1972年香川県生まれ。神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専門は日本政治外交史。著書に『政党内閣制の成立 一九一八〜二七年』(サントリー学芸賞)、『政党内閣制の展開と崩壊一九二七~三六年』『佐藤栄作』などがある。

【評者】
◆十河和貴〔そごうかずたか〕
1993年香川県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は日本近現代史。著書に『帝国日本の政党政治構造』がある。
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