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「難しい本を読んでないのは恥」の教養主義はなぜ没落したのか......『なぜ働』の三宅香帆さんと竹内洋さんが語り合った

竹内 洋(京都大学名誉教授)×三宅香帆(文芸評論家)

読書という「ノイズ」と 「じゃまをする」教養

竹内 私も昨夏、熊本日日新聞で三宅さんの本の書評を書きましたが、読書を労働との関係で論じた点が画期的だと思いました。これまで読書論といえば、作家や文系の大学教授など、読書を仕事の一部とする人たちが書くものでした。でも三宅さんは企業で働いた経験に基づき、本が読めなくなる背景を分析している。働く人の立場からの読書論であると同時に、読書を通じた日本近代史にもなっている。私も教養主義について書くことで、日本の学生文化、エリート文化を浮き彫りにしたかったので、とても共感しました。

三宅 竹内先生のご本を読んで一番おもしろかったのが、近代日本の立身出世の実態です。当初は仕事上で西洋学問が必要なので読書をしていたのが、時代が下ってサラリーマンが増えてくると読書的な知と仕事が離れていって、現在のように働いていると本が読めない状況ができてきた。それがよく理解できました。


竹内 私は三宅さんの本の「読書はノイズ込みの知である」という指摘に唸りました。スマートフォンが普及し始めた頃、若者が背中にリュックを背負い、手の中の携帯に目を落とす姿が二宮金次郎にたとえられましたが、私にはむしろカッパに見えた。カッパは頭の皿が水で満たされていないと死んでしまいます。現代人は三宅さんが指摘した「ノイズのない情報」を常に浴びて皿を湿らせているカッパのようだ、と。


三宅 あの本では情報と知識の違いについて書きましたが、2020年代にTikTokなどの動画系SNSが世を席巻すると、まさに水が常に継ぎ足されるカッパ状態になりましたよね。検索するまでもなく、関連コンテンツが次々に表示される。もはや欲しいから情報を得ているのか、継ぎ足されるままに皿を湿らせているのかわからない。教養を身につけようと自ら欲して本を読んだ時代からずいぶん遠くに来たなと思います。

 私の「ノイズ」は、先生のご本の「じゃまをする教養」にヒントを得ているのですが、あの言葉はどこから出てきたのですか?


竹内 「教養」は、ある時期までは両義的に使われることが結構ありました。たとえば政治家に対して「教養人だ」と人物を賞讃する際に使われる一方で、「あの人は教養がじゃまをしている」というように、ある種の迫力のなさを表したりもした。教養は立身出世のうえで必ずしも得になるとは限らず、「じゃまをする」ものでもあったのです。


(『中央公論』5月号掲載の対談では、この後も教養と社会的成功の関係や、日本型インテリ独特の政財界嫌い、「本を読むと人格がよくなる」という教養主義的主張の当否などについて詳しく論じている。)


構成:髙松夕佳 撮影:霜越春樹

中央公論 2025年5月号
電子版
オンライン書店
竹内 洋(京都大学名誉教授)×三宅香帆(文芸評論家)
◆竹内 洋〔たけうちよう〕
1942年東京生まれ。佐渡島で育つ。京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。専門は教育社会学。京都大学教授、関西大学教授を歴任。『革新幻想の戦後史』(読売・吉野作造賞)など著書多数。

◆三宅香帆〔みやけかほ〕
1994年高知県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。会社員を経て2022年に独立。『名場面でわかる刺さる小説の技術』『「好き」を言語化する技術』など著書多数。
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