――どのような問題意識で本書を執筆されましたか。
学校教育は法のルールにしっかり則って組み立てられていますが、現場を見ると、法の趣旨が理解されていないことがしばしばあります。そこを整理すれば、子供はより伸び伸び育つのではないか、そんなことを考えてみたのが本書です。
教室は「大きな密室」になります。小中高校では、どんな授業が行われているか、その場にいる児童生徒と先生しか知らない。さらに、最低1年間はクラスの仲間や担任の先生が一緒なのが標準ですから、長い時間をかけて濃い人間関係が形成されます。すると一般市民社会の法よりも、現場でのルールや雰囲気が人を拘束するルールとしてより優勢になりやすいでしょう。
学校の教員は、子供に対して強い権力を持っていますが、その権力が意識されないことも多い。権力を法で統制することが憲法の役割です。憲法という視点から考え、教員や学校の権力性に注目をして、それが乱用されないようにするにはどうしたらいいかという視点が、今必要なのではないかと思います。
――校則は法的にどう位置づけられるのでしょうか。
法律には校則という制度はないのですが、基本的には学校の処分の基準です。例えば、児童生徒が暴力を振るう、物を壊すといった学校の秩序を乱す行為をした場合には、学校が退学や出席停止などの措置をとれます。ところが基準がないまま処分すると、その時々によって対応が異なり不公平だという事態になりかねません。そこで基準を設けるために校則があるのです。
ただし、学校が定めた校則に全部従う必要があるわけではありません。校則に関連する裁判では、当該生徒の行動が処分の根拠になり得るぐらい酷いものかどうかを見ます。校則は子供にとって、ややもすれば法律並みに強制力のあるものだと意識されがちなので、本書はそこを整理しました。
――本書で指摘されていた、PTAは任意加入のボランティア団体であることは意外と知られていないかもしれません。他に知っておくべきことはありますか。
学校が子供や親に強制できることは少ない点は理解しておいてほしいと思います。例えば、平成元年に起きた制服訴訟をよく紹介しています。裁判になると、学校は「制服は強制ではなく、あくまで標準の服だ」「強制であることを前提に損害賠償は受けられない」と言うことが多いのです。なので、学校から何か強制されてそれが耐えがたいときに、そんなことを思い出してもらえれば役立つかもしれません。
――昨年5月に親権法の内容が改正されたことについて、多く論じていました。
子供は成長途上の段階では意思決定はできません。そのため子供には意思決定の支援をする必要があり、かつ、支援してもらう権利が憲法上あるだろうと思います。
親権は学校に対して大きな影響を与えます。親の許可がないとできないことは学校に色々あります。入学や退学、修学旅行へ行くか、給食をどう食べるか、プールに入っていいか、体調が優れない日に登校できるかなどです。
親権はこれまで、仲の良い父母、同居している父母が共同で持っているか、子供と一緒に住むシングルファザー、シングルマザーが持っているという形しかなかった。子供は、同居する親から許可を取れば親権者の同意は取れた状態だったわけです。
しかし、法律が改正されたことで状況が変わりました。先述の制服訴訟は、離婚し別居している父親が中学校を訴えたケースであり、制服代を払いたくないために娘に制服を着せないことを求める訴訟でした。娘自身は制服着用を嫌がっているわけではなく、父母の教育方針の違いによる揉め事が学校に持ち込まれた事例です。今後こうした問題が増えていく可能性があるので、学校は把握しておいたほうがいいかもしれません。
(『中央公論』2025年5月号より)
1980年神奈川県生まれ。東京都立大学大学院法学政治学研究科教授。東京大学法学部卒業。同大学院法学政治学研究科助手を経て、2016年より現職。専門は憲法学。『憲法の創造力』『憲法という希望』『「差別」のしくみ』など著書多数。近刊に『幸福の憲法学』。