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『太郎とTARO』大白小蟹著 評者:トミヤマユキコ【このマンガもすごい!】

トミヤマユキコ
太郎とTARO/トーチコミックス(リイド社)

評者:トミヤマユキコ(マンガ研究者)

 今回はかなりユニークな作品を紹介する。人によっては「これはマンガなのか?」と言うかもしれない。それでもやっぱりマンガの仲間として紹介すべき作品だと思う。

 作者の大白小蟹(おおしろこがに)は、初単行本『うみべのストーブ』でマンガ読みたちの話題を攫(さら)った人物。私も新人とは思えないマンガの上手さに感動させてもらった。同作に収録された短編は、どれも少し不思議で、もの悲しい。

 タイトルにもなっている「うみべのストーブ」なんて、失恋した男子を見るに見かねたストーブが一緒に海を見に行こうと誘う話だ。ストーブが喋るんかい、そんで海を見に行くんかい、と半笑いでツッコミながらも、読み進めるうちに、なんだか真顔になってきて、ふたりの失恋小旅行にジーンとしてくるのだった。そして最後には、人生の尊さを抱きしめるかのような、実に美しいシーンが......。本当にマンガが上手いとしか言いようがない。

 そんな作品を描く大白が、最新作として世に出した『太郎とTARO』は、筑波大学の修了作品として制作したものを再編集した「ことばのない絵物語」である。ちなみに指導教員は、『かしこくて勇気ある子ども』などで知られるマンガ作家の山本美希だ。

 四角い外函から中身を抜き出すと、『太郎』編と『TARO』編の二冊に分かれていて、たぶん、どちらから読んでもいいのだけれど、タイトルに従って『太郎』編から読んでみる。すると、ふたつの民族がとある出来事をきっかけに対立し、一種の戦争状態に突き進んでいく様子が描かれる。続いて『TARO』編を読んでみると、今度はまったく同じ争いが、視点人物を変えて描かれている。下敷きになっているのが、昔話の桃太郎であることは一目瞭然。桃太郎側の正義だけでなく、鬼側から見たアナザーストーリーも描くことで、読者に「正しさ」の複雑さと危うさを伝えている。しかもそれを、セリフなしでやってのけているのがすごい。フキダシや「漫符(まんぷ)」と呼ばれるマンガ特有の記号表現は出てくるけれど、ことばは一切出てこないのだ。

 ここには『うみべのストーブ』にあったような、美しいラストはない。この作品は、読者を慰撫するために作られていないのだ。そういうものも描けるという事実に、作者のタフネスを感じる。頼もしいなあ。

 友人との仲違いからスター・ウォーズに至るまで、あらゆる争いは「その立場からすれば、そのように行動するのが正しい」ということになっている。少なくとも、当事者にはその争いに身を投じるだけの正当な理由があるものだ。だから太郎にも、TAROにも、それぞれの信じる正しさがある。いまロシアやアメリカの政治情勢を憂慮しているひとが読むと、ものすごく刺さるストーリーだと思う。そういう重ね方が十分に可能な作品だ。

 本作が税込み4950円であることに腰が引けてしまうひともいるかも。だが、これは紙の本として持っておき、正しさがわからなくなるたびに何度でもめくってほしい。


(『中央公論』2025年5月号より)

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