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『半分姉弟』藤見よいこ著 評者:三木那由他【このマンガもすごい!】

三木那由他
半分姉弟/トーチコミックス(リイド社)

評者:三木那由他(大阪大学大学院人文学研究科講師)

 ひとは誰もが同じ世界に生きてはいない。それは「誰だって他人なのだから、相手のことは本当にはわからない」という一般論としてではなく、この社会の不均質さの問題としてだ。

 本作『半分姉弟』はミックスルーツの女性たちを中心とした連作短編だ。作品の基調は、「明るく力強く元気が出る」と言えるものだろう。ミックスルーツの仲間たちで「マッドミックス怒りのデスロード」と題して集まる飲み会の場面など、軽快なやり取りとユーモラスな語り口に引き込まれる。

 だが、本作では世界がひび割れ、時間が止まる瞬間が繰り返し起こる。

 日本人の母とフランス人の父を持ち、見た目からもミックスルーツであることがわかりやすい米山和美マンダンダは、茶色い肌を「汚い」と言われ、無理やりおどけてみせた小学生のとき以来、一種の処世術としておちゃらけた仕草を身に付けている。

「日本語が上手」と声を掛けられたとき、知らない男性に凝視され「純粋な日本人じゃない」といきなり言われたとき、彼女は一見すると明るく返答する。しかし、その都度、時間は止まり、世界は割れて傾く。その苦しさは、たとえ昔からの親友でも同じ世界に生きていない者には共有できない。

 哲学者レジーナ・リニは、こうした一見些細な言葉の暴力性を蜂に喩える。マイノリティでなくともたまに蜂にいちど刺されることはあるだろう。だがそれは大勢の蜂に次々と襲い掛かられ続ける経験とは質的に違う。この社会でマイノリティであるというのは、蜂で溢れかえった社会で、蜂の恐怖を常に肌で感じながら生きることだ。

 本作は、マイノリティとマジョリティの生きる世界の違い、そしてそれでも「互いに理解し合えない」ことを理解しながら共にいようとする者たちを描く。だがそれだけでなく本作は、ミックスルーツの者同士で思う存分腹を割ってわいわいと騒ぎながら愚痴り合う姿も見せてくれる。それはマンガだからこそできる、とてつもないことではないかと思う。

 異なるマイノリティ性を並行的に語るのは暴力的だが、それでもあえて語ると、私はトランスジェンダーだ。そしてたまにトランスジェンダーばかりで集まるトランスお茶会に参加したりする。シスジェンダーの友人と遊ぶのももちろん楽しい。でもトランスお茶会の楽しさはそれとは別ジャンルだ。「この話、共感されないだろうな」という制限を取っ払って、思うままに愚痴り、ばかみたいに笑い合う。

 それは楽しく、しかし非当事者がいないからこそ実現する空間であり、ふつうは非当事者には秘匿されている。でも、本作では誰でもそれをその場にいるように見ることができる。だからこそ、そこでの語りの軽妙さを楽しみながらも、マジョリティである私は、抱く愚痴の違い、経験する日々の違い、私とは違う世界を否応なしに強く感じることができる。私たちは違う世界に行くことはできない。でもそれが目の前にあるということを、本作はこんなにもパワフルに突きつけてくれる。


(『中央公論』2025年8月号より)



中央公論 2025年8月号
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三木那由他
大阪大学大学院人文学研究科講師
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