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長㟢健吾 生誕150年 柳田國男をいま直すうえでのポイントとは【著者に聞く】

長㟢健吾
柳田國男—計画する先祖たちの神話/講談社

――2025年は柳田國男生誕150周年です。関連する本の刊行が相次ぐ中、本書は柳田のどのような側面を描いたものでしょうか。


 大学で授業をしていても、柳田國男と言えば『遠野物語』であり、民話や妖怪を研究した民俗学者としてのイメージが強いと感じます。本書では柳田の歴史家としての側面、むしろそちらの方がメインであると論じました。柳田自身、民俗学は新しい方法による歴史学で、日本史学の一部なのだと繰り返し言っており、弟子が文化人類学に近づくのに怒ることもありました。

 私の専門は中世都市史ですが、柳田はその分野の先駆者であり、先行研究の一つとして読んだのが最初です。せっかくならと全集を読んだところ、これまでの評論や研究であまり言われていないことが気になってきて、研究論文ではなく評論として柳田論を書くようになりました。

 柳田の一番の代表作は『明治大正史 〈世相篇〉』だと思います。タイトルの明治大正にとどまらず江戸時代以前まで遡って衣食住、家や都市、女性といった世相の変遷を論じているのですが、歴史学で1980年代以降に盛んになった研究テーマを先取りしているところがある。歴史学者が柳田を読むことは少なくなりましたが、現代でもなお参照する価値を秘めていると思います。

 柳田は日本の通史を書いていないし、おそらく通史というものに興味もないのですが、著作の中に散らばっている彼の歴史の見方を集めてくると、日本に人が住み始めて、村をつくり......という歴史の全体的なビジョンを持ったうえで探究しているのだと分かります。そうした彼のビジョンを整理した初めての本になったと思います。


――柳田の著作は膨大で、どれから読むべきか迷う人も多いと思います。


 群像評論新人賞をいただいた際、大学院でお世話になった中世史の先生と雑談しているときに「柳田國男論を読むのは楽しいけど、柳田國男そのものを読むのは苦痛だ」と言われたのですが、確かに柳田の著作はひたすら具体例が並ぶがゆえの読みづらさがある。私も最初は同じことを思いました。本書は柳田が多用したものの、あまり言及されてこなかった「計画」という概念をもとに、柳田の生涯や時代背景も織り交ぜながら、初期から晩年の作品までを読み解いているので、入門書としても読んでいただけると思います。


――柳田が探究した「家」や「先祖」という言葉だけ見ると、保守的な印象を受けます。


 たしかに柳田は生まれつきの保守主義者を自任していました。しかし戦後は左派のマルクス主義系の歴史学者に好んで読まれていて、逆に保守派にはあまり読まれていません。一方、90年代以降にナショナリズム論が流行すると、彼の単一民族論が批判の的になることもありました。ただ、私も執筆の終盤に気づいて驚いたのは、あれだけ家について書いているのだから、戦後の家制度の廃止には批判的なのかと思ったら、そうではなかった。決めてかかると読み誤る、一筋縄ではいかないのが柳田の面白さです。

 家と聞くと、家父長制的なものを思い浮かべるかもしれません。しかし柳田が家の探究を通じて取り組んだのは、日本の歴史的な来歴と目の前の社会の現実を踏まえたうえで、未来の他者への配慮を可能にする社会はどういう形でありうるかを明らかにすることだったと言えます。これは柳田をいま読み直す大きなポイントだと思います。

 柳田の著作には彼が生きた時代への目線が刻印されています。明治末から敗戦までの激動する時代と近代以前の日本の歴史をなんとか接続しようと格闘したのだと思います。


――今後も柳田論は書き続けますか。


 本書で一区切りだとは思っています。ただ当初は、柳田論は自分の専門には直接関係しなくていいし、趣味として割り切るつもりでしたが、いまでは専門の都市史とも直接結びつけることができると思い始めています。柳田の成果を取り入れながら、新しい都市史を構想していけたらと考えています。


(『中央公論』2025年11月号より)



中央公論 2025年11月号
電子版
オンライン書店
長㟢健吾
〔ながさきけんご〕
1989年高知県生まれ。川村学園女子大学専任講師。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(日本史学)。専門は中世都市史。2018年、柳田國男論「故郷と未来」で第62回群像新人評論賞受賞。
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